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第5章⑦
翌日は、早朝から空が雲に覆われていた。天気予報では夜から雨だという。
テレビを見ながら朝食を食べていた久太郎は、それを聞いて思案顔になった。
「…お昼ごはんは、仕出しのお弁当頼んでいるから大丈夫だけど。もし、父さんたちの誰かが急に泊まることになったら、夜の食料が少し不安だな」
そして、食べ終わると同時に晴に告げた。
「ちょっと今のうちに、買い出しに行ってくるね。晴くん、一緒に行く?」
「いや。俺は朝飯の後片付けして、お客を迎える準備をしとくよ。その方が、準備が早く済むだろ」
「分かった。じゃあ、悪いけど頼むね。父さんたちは十時半くらいから来るはずだから。それまでには戻ってくる」
ヘルメット片手に出かける久太郎を、晴は玄関で見送る。すぐに家の下の方でバイクのエンジン音がして、遠ざかっていった。
家の中に戻った晴は台所ではなく、寝ていた和室へ向かった。蚊帳をはねあげると、敷いたままの布団の上に、無造作に身体を投げ出した。
布団に顔を押しつけ、ひとしきり呻いて、ため息を吐く。
昨夜から今まで、ずっと緊張しっぱなしだった。
――大尉どののこと、久太郎に見破られた。なんでだよ…。
如月久弥が好きだったかと聞かれた時、晴はとっさに否定した。
久太郎はそれ以上、詮索してこなかった。だけど、晴の主張を鵜呑みにして信じたかは分からない。内心では、まだ疑っているかもしれないと思うと気が滅入った。
朝起きてから、久太郎の態度はいつも通りだった。だから晴も、それに合わせた。
昨日のやりとりなんか、なかったみたいに。
それでも朝食をとる間、息がつまりそうだった。
久太郎が本心で何を思っているのか、分からないのがつらかった。いっそのこと、潔く認めた方がいいんじゃないか、という考えがチラリと晴の頭をよぎる。
如月久弥が好きだった。妻子持ちの上官に、横恋慕していた。そんでもって、今は久太郎のことも好きだ……。
「……最低すぎるな、俺」
乾いた笑いが喉からもれる。やはり、絶対にバレたくない。
すでに手遅れの感はあるものの、真実を否定し続ける以外に道はなさそうだった。
晴は久太郎が寝ていた布団へ転がる。目を閉じて、恋しい相手がそこにいた余韻にひとしきり浸る。
そのまま、眠ってしまいたかった。しかし、やがて自分の引き受けた仕事を片付けるべく、起き上がって台所の方へ戻っていった。
皿洗いを終えた後、晴は蚊帳を畳んで布団を上げにかかった。そろそろ、おぼんを出して、久太郎が用意した茶菓子とガラスコップなどを並べておこうーーそう思った矢先、ピンポンと玄関のチャイムが鳴った。
晴は思わず柱時計を仰ぎ見る。まだ十時にもなっていない。買い出しへ出かけた久太郎も、戻ってきていなかった。
ガラガラと玄関の戸が開く音に、
「こんにちはー。久太郎君いる? 勝手に上がらせてもらうわよ」
女性の声と人が入ってくる気配が続く。やむなく、晴は廊下に出て、玄関へ向かった。
来客は一人ではなかった。五十前後と見える女と、彼女より少し年上に見える男。雰囲気からして、明らかに夫婦だ。そろって黒い礼服を着た二人は、晴の姿を目にしてギョッと動きを止めた。
女の方など、小さく叫んだくらいだ。
「ちょっと…あなた、誰!」
「あ…俺、久太郎の友人です」
変な誤解を与えたり、不審者扱いされる前に、晴は慌てて説明した。
「鈴木晴と申します。その…お盆の準備に人手が足りないって、久太郎から聞いて。暇だったんで、手伝いに来たんです」
「…それで、久太郎君は?」
そう聞いたのは男の方だ。女に比べれば落ち着いているが、それでも晴に気を許していないのは見え見えだった。
「姿が見えないが」
「出かけています。食料の買い出しに、バイクで」
そこで晴は思い出して、言いそえる。
「おととい、久太郎が森下久美 って名前の叔母さんに、メッセージを送ってたはずです。『友だちを連れて行く』って」
「そうなのか?」
夫に聞かれた妻――久太郎の叔母の久美は、少々憤慨したようだった。
「知らないわよ。忙しくて、あの子からのメッセージなんて見てないわ」
怒りながら、スマホを持っていたバッグから取り出す。
「……本当だわ」
顔を上げ、久美は晴に一瞥をくれる。晴はそこに、非難の色を見てとった。
「まあ、いいわ。事情はわかりました。玄関にずっといるわけにはいかないから、上がらせてもらうわよ」
「もちろんです。荷物、仏間まで運びましょうか」
「そうしてちょうだい」
久美は用意してあった客用のスリッパを履くと、脇に寄る晴に目もくれず、夫と共に家の奥へ歩いていく。その姿がふすまの向こうに消える寸前、久美が夫に向けて放った言葉が、晴の耳に届いた。
「――家族の集まりに友だちを呼ぶなんて、非常識ね。ふつうじゃないわ。どんな神経してるのかしら、あの子…ーー」
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