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第5章⑧
久太郎が帰ってきたのは、それからまもなくのことだった。
家の真下の道に、群青色のワゴン車は停まっているのを見て、親類の誰かが来たと悟る。少し離れたところに久太郎はバイクを停車させると、買った食材が入った袋を手に、急いで家に戻った。
叔母夫婦は、エアコンの効いた仏間にいた。
「あら、久太郎君。久しぶりね」
久美は約八ヶ月ぶりに会う甥に向かって、愛想の良い笑みを浮かべた。
「お久しぶりです。おばさん、おじさん」
久太郎も、笑顔で挨拶する。
「すみません、留守にしていて。遠いのに、来るの早かったですね」
「せめて、手伝おうと思って。早起きして来たのよ。何か、やり残していることある?」
聞かれて、久太郎は考える。
必要なことは、あらかた昨日のうちに晴と一緒に済ませてある。欲を言えば、空いた時間を使って荒れている庭を掃いて片付けたいし、二階の掃除もしたい。しかし遠方から来た叔母にそれを頼むのは、申し訳なかった。
「――大丈夫です。お寺さんが来るまで、ゆっくりくつろいでて下さい」
「あら、そう。じゃ、そうさせてもらうわ」
久美はあっさり引き下がった。口では手伝うと言ったものの、はなからその気は薄かったのかもしれない。
叔母と叔父が座る座卓の前に、冷たい麦茶のコップと茶菓子が置いてあることに、久太郎は気づいた。きっと、晴が出してくれたのだろう。
そういえば、晴はどこだろうか?――久太郎が探しに行きかけた時、久美が「ちょっと」と手招きした。
「お留守番してた男の子。久太郎君のお友だち?」
「はい、そうです。もう、会いましたよね」
「ええ。なんと言うか、変わった子ね。元気もないし、愛想も良くないし。今の子って、そんなもんでしょうけど」
「……」
叔母さんより、半世紀近く前の生まれですーーという言葉を、久太郎は心の中にしまっておく。
「これは、あなたのために言うんだけど」
久美はそう前置きして、心もち声を小さくした。
「いくらお友だちでも、他人を家に一人で置いて出かけるのは、良くないんじゃないかしら。…見ていない時に何をするか、分かったものじゃないでしょう?」
叔母の言葉に、久太郎は内心、いやな気持ちになる。
晴のことをそんな風に言われたくなかった。
しかし、相手の言い分にも一理あるのは認めた。叔母にとって晴は見知らぬ人間だ。無条件に信用しろと言うのも、無理な話だろう。
もっとも、叔母たちがこんなに早く来ると分かっていたら、久太郎も晴を残して家を空けることはしなかったろうが。
「…すみません。配慮が足りませんでした。次から、気をつけます」
「分かればいいのよ」
久美は、いかにも物分かりのよい年長者の顔をする。
あまり怒ってないと思って、久太郎はほっとする。そして相手に向かってひと言、言い添えた。
「でも、晴くんはとてもいい子です。おばさんが思っているようなことをする人間じゃないので、安心して下さい」
鼻白む叔母と、それから義理の叔父に一礼して、久太郎は晴を探すべく、仏間を後にした。
十時半を過ぎたあたりで久太郎の父親が、やはり車でやって来た。
如月久紀 は生来口数が少なく、常に気難しそうな雰囲気を漂わせている男だった。久太郎は、父が笑顔になるところを、片手の指の数ほどしか見たことがない。
その顔で叔母たちと同じく、法事用のスーツを着て黒いネクタイを締めているので、職業を葬儀屋と言っても、通じそうだった。
「上がるぞ」
玄関に現れた久太郎に、父が放った第一声がそれだった。祖父の一周忌以来、会うのは八ヶ月ぶりだ。だが、元気そうな息子を見ても、特にうれしそうな顔もしない。父親のそっけない態度に、久太郎はもう慣れっこになっていた。
久紀が言った。
「昼は人数分の弁当をとったんだってな」
「うん。十一時半にお寺さんが来るから。その前に届けてもらって、食べるまで冷蔵庫に入れておくつもり」
「そうか」
久紀は財布から一万円札を二枚出して、息子に差し出す。弁当代、ということだ。
「これで足りるか?」
「大丈夫」
「釣りは返さなくていい。小遣いにしとけ」
「…ありがとう」
久太郎はそこで、父親に告げた。
「父さん。実はね。昨日から、ここに友だちを連れて来てるんだ。その子に、今日の準備とか、墓の掃除とか手伝ってもらった」
息子の言葉を聞いた久紀は、ここに来てから初めて表情を変えた。
不機嫌そうに眉根を寄せる。
「久美はどうした?」
「叔母さん、直前に仕事で来られなくなったんだ。そのことを友だちに――鈴木晴くんって言うんだけど、彼に話たら、一緒に来て手伝ってくれるって言ってくれたから…」
「…まったく、しょうがないやつだな」
久紀はあきれた様子でつぶやいた。「しょうがないやつ」が、妹を指すのか息子を指すのか、あるいはその両方かは、久太郎には分からなかった。
「お前の友だちの鈴木君は、どこだ?」
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