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第5章⑨

 晴は台所の椅子に腰かけ、スマホをいじっていた。平田から、いくつかメッセージが来ていた。アプリを開いて見てみると、メッセージと一緒に何枚かの写真が送られていた。 〈現在地。どこか当ててみてくれ〉  平田の謎かけに、晴はろくに写真も見ずに返信する。 〈日本国内のどこか〉 〈…小学生みたいな返事だな。思考停止は老化に直結するぞ、大正人〉 〈知らん。で、どこだ?〉  平田から返事が来るより先に、久太郎が戻ってきた。五十過ぎの初老の男と一緒だ。  スマホを置く晴に向かって、その男ーー如月久紀は、久太郎の父親だと名乗った。  久紀の表情や漂わせている雰囲気は、親しみやすさとは無縁だ。しかし、晴は別に気にならなかった。無愛想でニコリともしない男など、元いた時代では珍しくもない。それが、久太郎の父親という点では、意外だったが。 「…うちの息子が、迷惑をかけた」  久紀が低い声で言った。 「こんな何もない田舎までつき合わせて、悪かった」 「いえ……俺、瀬戸内の島の出身なんで。山はけっこう新鮮で、楽しいです」  晴は天井を見上げる。 「立派な家ですよね。昨日は久太郎君に、いろいろ見せてもらいました」 「…古くて、広いだけだよ。ろくにもてなせなくて、すまないが、せめてゆっくりしていってくれ――じゃあ、私はこれで失礼する。妹たちに挨拶してくるよ」  久紀の姿が仏間の方へ消えた後、久太郎が言った。 「ごめんね。いきなり俺の父親が来たから、びっくりしただろ」 「いや、全然」  晴は笑った。確かに驚きはしたが、不快感はなかった。  言葉はそっけないが、誠実さがこもっていた。  少なくとも、先ほどやって来て久太郎のことを悪く言っていた叔母に比べれば、晴はよほど好感を持てた。  久太郎が和室で喪服に着替え終わった時、玄関のチャイムが鳴った。  仕出し屋か、それともまだ来ていない久治(きゅうじ)叔父たちか――久太郎が出て行くと、そこにいたのは昨日、会えなかった菩提寺の住職だった。  久太郎は、仏間にいる父親を呼んだ。 「誰か来たら、俺が出るから」  住職が仏壇にお経を上げる間、晴は和室で待機することにした。久太郎は、父親と叔母夫婦と一緒に法要に参加している。  その後の三十分は、意外に忙しかった。  まず仕出し屋が来て、晴を含む人数分の弁当を置いていった。久太郎から預かったお金で支払いを済ませていると、久太郎が様子を見にきた。その後、二人で弁当を冷蔵庫に入れていると、そのタイミングでまたチャイムが鳴った。  まだ来ていなかった叔父夫婦が、約束の時間を過ぎてやっと到着した。 「やれやれ、遠かった。疲れちゃったよ」  如月久治は背はそれほど高くないが、肥満体の男で、玄関にいるだけでそこが狭く見えた。眼鏡を取って汗をふきながら、久治は甥に向かって挨拶した。 「やあ、久太郎君。年末以来だね。悪いね、遅くなって…え? もう、お寺さん来てるの。そいつはまずいな。兄貴と姉貴がご立腹だ」  ドスドスと肥えた身体を揺すって、久治は廊下を進む。その後ろを、妻の香絵(かえ)が小声で「お世話になります」と頭を下げて、付き従っていく。 「これで、全員来たから」  久太郎は晴に言って、自分も仏間へ戻っていった。  久太郎と別れた後、晴は一人で和室に戻った。  先に弁当を食べてくれと、久太郎に言われたが、法要が終わるまで待つつもりだった。  正座して、ふすま越しに聞こえてくる読経に晴は耳を傾ける。その手には、数珠の代わりに、マッチの入った巾着袋が握られていた。  お盆は先祖の霊が家へ戻って来る時期だ。如月久弥の魂も帰って来ているのかもしれない。 晴は生まれてこのかた、幽霊を見たことがないし、見たいと思ったこともない。でも、如月の霊になら会いたかった。  会って、生きていた時のように話をして、晴が進むべき道を示してほしかった。  昭和二十年に戻るべきか、それともこの令和の世に残るべきかを――。  …昨日の疲れが出たのだろう。ほんの短い間、晴は居眠りしていた。  はっと目を開けると、読経の声が聞こえなくなっている。どうやら、法要が終わったらしい。  盗み聞きするつもりはなかったが、それでも久太郎の父親の声が、隣の仏間から漏れ聞こえてきた。 「……はい。我々、兄弟は全員、県外に住んで仕事をしておりまして……――墓参りも大変ですから……――墓じまいをして、私が住んでいる所の近くにある納骨堂に改葬しようと…――そこなら、まだ行きやすいですから……――」  久紀と住職の会話は十五分ほど続いた。最後に、住職の声が聞こえた。 「ーーそういうことなら、承知しました。今後、必要なことを、おいおい話し合って決めていきましょう。あいにく、今日はこれからまた行くところがあるので、これで失礼します」  人が立ち上がる気配に、ふすまが開く音が続く。親族一同で玄関まで住職を見送りに行ったようだ。  晴は久太郎たちが食べる弁当と新しい麦茶を用意するために、台所へ向かった。

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