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第5章⑩

「――もう! お寺さんが来る大事な日に遅刻して来るなんて。ちょっとひどすぎない、久治?」  仏間に戻るなり、久美は弟をつかまえて文句を並べた。 「道が混んでたんだよ」  久治は、口をとがらせて反論する。 「それに、昨日の晩から今朝方まで病院の当直だったんだ。それで家を出るのが遅くなった。悪いとは思うが、仕事なんだから。そう、文句を言わないでくれよ」  久治の抗弁に、久美はムスッとした顔で黙り込む。しかし、それで怒りが収まらなかったのか、すぐに非難の矛先を義妹の方へ向けた。 「ちょっと、香絵さん。座ってないで、少しは手伝うフリくらいしたらどうなの? 私や久太郎君ばっかり働かせて…――」 「いいですよ。来たばかりで、おじさんも香絵さんも疲れているでしょう」  久太郎は叔母と叔父夫婦の間をとりなしつつ、空いたコップを手際よくお盆に並べていく。 「みんな、座っててください。すぐに、新しいお茶とお弁当を持って来ますから」  久太郎はそのまま台所へお盆を下げに行く。すると、晴がすでに人数分の新しいコップに氷とお茶を入れてくれていた。 「仏間の前まで、運ぶの手伝うよ。久太郎は冷蔵庫の弁当、持って来てくれ」 「分かった。助かるよ」  久太郎と晴は、並んで廊下に出る。角を曲がると早くも、久美の甲高い声が聞こえてきた。  久美のその言葉を聞いた時、晴は危うくコップを満載したお盆を取り落とすところだった。 「――それで、兄さん。この家、ちゃんと売れそうなの?」  久太郎は父親と親族に断りを入れ、晴と一緒に台所で弁当を食べることにした。久美はあからさまに不服そうだった。しかし、久紀が許したので、それ以上は何も言わなかった。  晴を一人にするのは気がひけた、というの理由であるがーー久太郎は、このあと親族たちの間で交わされるであろう会話に、あまり居合わせたくなかった。  台所のテーブルで弁当をつまみながら、久太郎は如月家の親族内で発生している遺産争いについて、知っている限りのことを晴に打ち明けた。  祖父の友弥は退職後、月々にもらう年金で日々の生活に必要なものをまかなっていた。祖母が生きていた頃には二人で、その祖母が亡くなった後、一人で暮らす分には、困らない額だった。かといって、貯蓄をつくれるほど余裕があったわけでもない。  三人の子を全員、大学――末っ子の久治は公立とはいえ医学部に行った――まで進学させ、さらにその後も、結婚や家を建てたりする時に、援助を行なった。  だから亡くなった時、銀行口座に残っていたのはたかだか百万円ほどだった。あとは、この古い家とわずかに所有していた土地だけ。その事実が明らかになった時、叔母の久美は憤慨した。父親が遺した財産が、期待していたより遥かに少なかったからだ。 「――最初は家と土地を俺の父さんが相続して、お金の方はおばさんとおじさんの二人で分けるつもりだったらしいんだ」 「は? なんでだよ。久太郎の親父さん、長男なんだろ。なんで弟に金を渡すんだ? まして嫁に行った妹にまで」 「あー…晴くんがいた時代は、まだ家の財産は原則、全て長男が相続していたよね」 「当たり前だろ」 「今は違うんだ。戦後に法律が変わった。結婚して子供がいる場合、まず配偶者に財産の半分が渡って、残る半分を兄弟姉妹で分割する。うちのじいちゃんの場合、ばあちゃんが先に亡くなっているから、遺産は父さん、久美叔母さん、久治叔父さんの三人で分けることになる――均等にね」  久太郎はため息をつく。 「もらえるお金が少なすぎるって、久美叔母さんが不満を抱いた。それで、この家とじいちゃんが所有していた土地に、どれくらい価値があるか、自分で調べたんだ。田舎の土地で大した額にはならなかったけど、それでも何百万円かにはなるって分かったものだから。全て売ってお金に変えて、それを自分と久治叔父さんに分けるよう、去年からずっと、父さんをせっついてるんだ」 「無茶苦茶すぎる」  晴は本気で腹を立てた。 「久太郎はそれでいいのか? 家が…久太郎のじいちゃんが生まれ育って、死ぬまで過ごした家がなくなるんだぞ」  晴の詰問に、久太郎は口を閉ざす。  もちろん、嫌に決まっている。  この家は、ただ祖父母の家というだけではない。久太郎にとっても、思い出がつまった大事な家だ。金銭のためなら、明日にもそれを売ってしまおうとする叔母の立場には、正直、まったく同意できなかった。  しかしーー。 「――俺は、口をはさめる立場にはないから。仕方ないよ」  晴にというより、自分自身に言い聞かせるために、久太郎は言った。 「もし売らなかったら。家と土地を相続した父さんが、叔母さんと叔父さんにけっこうな額のお金を払わなきゃいけなくなる。何より、父さん自身が元々、この家にも土地にも対して、何も思い入れがないみたいだから…」  父親は、祖父が建て直した墓も継ぐ気はなかった。遠方だという理由で、墓じまいを考えて、それを先ほど寺の住職と相談していた。  「…多分、売ってしまうと思うよ」

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