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第5章⑫

 晴がスマホを開くと、平田から新着メッセージが入っていた。 〈回答時間切れ。ここは倉敷市だ。これから人に会う〉 〈久太郎君の田舎は、どんな感じだ?〉  その時、久太郎が台所に戻ってきた。曇った顔を見て、晴はスマホを置く。 「どうした? 親戚のおばさんに、何か言われたか?」 「うん、ちょっと母さんのことで」  久太郎はそれ以上、詳しいことは言わなかった。晴も詮索しない。そのかわり、多めに買っておいた茶菓子の一つを久太郎に差し出した。 「それ、座って食べろ。ーー何をすればいい?」 「…買っておいたコーヒー、七人分、淹れてくれたらありがたい」 「まかせとけ」  晴は立ち上がり、ヤカンで湯を沸かし始める。ドリップや粉を用意していると、廊下の方で誰かがこちらに来る足音がした。 「――久太郎くーん。これ、どこに捨てたらいい?」  久治の妻の香絵だった。空いた弁当の容器を両手に抱えている。  それを見て、久太郎は申し訳なくなった。 「すみません、香絵さん」 「いいの。君ばっかり働かせるのも悪いし。で、このゴミは?」 「そこのゴミ箱が燃えるゴミ用です。そばにある袋がプラスチックゴミ用なので、そちらにお願いします」 「了解」  香絵は空の容器を捨てると、水道の蛇口をひねった。手を洗う間、チラチラと晴の方に目を向ける。久太郎が連れてきた「友だち」のことが、明らかに気になっている様子だ。 「鈴木くんだっけ。久太郎くんと一緒に来たの?」 「はい」 「物好きだよね。なんでまた、こんな山奥に来ようと思ったの?」 「手伝いです」  晴がここに来ることになった経緯を説明する。晴が話し終えると、香絵は鼻で笑った。 「久美義姉(ねえ)さん、そんなこと一言も言ってなかったね。私と久治(キュー)ちゃんに、まるで自分が全部手配したみたいに言ってた」 「なんだ、そりゃ」  晴は憤慨した。 「おばさんが何してくれたか知りませんけど。家や墓の掃除や、事前に仕出し屋に弁当頼んだりするのも、全部、久太郎が頑張ったんですよ」 「で、君も手伝ったと。これは、二人とも(ねぎら)わないとね」  香絵はそう言うと、着ている喪服のポケットから、ぽち袋を取り出した。  子どもが好きそうな絵柄で、黄色いウサギが描かれている。 「久太郎くん。少なくて悪いけど、彼と折半して、美味しいものでも食べて」  慌てて断ろうとする久太郎に、久美は袋を押しつける。 「受け取っといて。元々、今年の正月、うちの旦那が久太郎くんにお年玉あげるのうっかり忘れて、持って帰ってきたやつだから。ほら」  結局、断りきれずに久太郎は預かっておくことにした。  香絵は義理の甥と、それからコーヒーを淹れる晴を順に見て、何やら含みのある笑い方をした。 「それにしても、えらく仲いいね、君たち。鈴木くんが着てるブカブカのシャツ。それ、久太郎くんのでしょ。去年の初盆の時、喪服に着替える前に着てたの、覚えてるよ」  香絵はコーヒーと茶菓子を盛ったお盆を運ぶのを、手伝ってくれた。  久太郎たちが仏間に戻ると、そこには久紀と、久美の夫の義明の二人だけがいた。 「あれ。おばさんとおじさんは?」 「二人とも二階だ」久太郎の父が言った。 「自分たちの部屋に残してある私物を持って帰るために、見に行った」  久太郎が呼びに行こうとした時、一度は台所に戻ろうとしていた晴が、すでに階段に向かっていた。 「俺が呼んでくるよ」  傾斜のきつい階段を、晴は身軽に登っていく。  昨日のうちに、久太郎に一通り案内してもらったので、勝手は分かっている。子供部屋だったらしい部屋は、ふすまが閉まっていたが、中に人のいる気配がした。  晴が声をかけようとすると、久美の声が漏れ聞こえてきた。 「――久治。あんた、ひどいわよ。兄さんを説得するのを私に丸投げして、自分はぼんやり見てるだけじゃない」 「そうは言ってもな。正直、俺はどっちでもいいよ。この家が売れても売れなくても、もらえるもんさえ、きっちりもらえれば」 「そんな甘い考えじゃ、いいとこばっかり兄さんに取られて、ろくでもないものしか分けてもらえなくなるわよ」 「田舎の土地なんてもらっても、逆に困るけどな。それにこの家自体、元々価値のあるものなんてないだろ。昔は、庭の土蔵にお宝が眠ってるかもって思ってたけど。親父が一度、徹底的に整理した時に出てきたのは、ボロ紙くらいだったんだろ」 「…そうね。本当に、ガラクタしかないんだから!」  久美は、いまいましそうに言い放つ。  その瞬間、晴は声もかけずに、ふすまを勢いよく開けた。  話すのに夢中だった久美と久治は、誰かが上がってきたのに気づかなかったようだ。  二人が驚いて飛び上がるのを見て、晴は内心、「いい気味だ」と思った。 「…コーヒー淹れたんで、下に降りてきてください。それから――」  自分より半世紀近く遅れて生まれた人間たちに、晴は冷ややかな眼差しを向ける。 「少しくらい、敬意をはらったらどうですか? 自分らの親父さんと、親父さんが大事にしてきたものに。さっきから、家を売るだの、遺産がどうだの、金の話ばかりじゃないですか。はたにいる人間からしたら、見苦しいこと、この上ないですよ」

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