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第6章③

「むしろ、鈴木君が元の時代に帰って、。それ自体は喜ばしいことだが、君は本来、一九四五年六月二十六日以降、世界に存在しなかった者だ。まして、過去を積極的に変えようとしている。そうなるとーー今、私たちがいる世界は間違いなく、何らかの形で改変されることになる」  平田は、気だるげにつぶやく。 「――とはいえ、私が今、言ったことは全部、ただの仮説だ。正直、タイムトラベルなんて、人類にとってはいまだ絵空事の域を出ない。十九世紀に描かれた月旅行や火星人襲来と同じさ。小説や漫画や映画といったあらゆるエンターテイメントにおいて、いかにもそれっぽい理屈が真実のように語られてきたが、あれは全て見る者を納得させるために、作り手がひねり出した演出だ。正直な話、過去を変えるべく君が戻った場合、何が起こるかは、誰にも正確なところは分からない――前に語ったように、私自身は君が撃墜されて死ぬ可能性が一番、高いと思うけどね」  長々と語り、平田は最後に締めくくった。 「もっとも確実なのは、この時代に残ることだ。そうすれば、少なくとも今日明日に死ぬことはまずないよ」  翌日。  家族写真を携えた晴は、久太郎と共に、約束の十分前に最寄りのバス停に降り立った。  明子の入院先は、いわゆる総合病院だった。何度か増改築を繰り返しているのだろう。少なくとも、外観に古びた感じはなかった。 〈暑すぎるから、中で待っているよ〉  バスに乗っている時に、平田から二人のスマホにメッセージが入っていた。  今はお盆期間中で、おまけに午後だ。病院の待合室は、閑散としてテレビさえついていない。等間隔で並ぶ青色のソファに、先に到着した平田が老婦人と並んで腰を下ろしていた。  平田が久太郎と晴に気づいて、手を振った。   「――戸塚暸子です」  挨拶する老婦人に、久太郎はお辞儀した。 「初めまして。如月久太郎です」 「…です」  一拍遅れて、晴も頭を下げる。  平田から、あらかじめそう名乗るように言われていた。 「暸子さんに、写真の元々の持ち主は、久太郎君とその弟の曽祖父だと伝えてある」 「弟って…」 「そう言っておけば、久太郎君と鈴木君の二人で、明子さんに会えるだろう?」  ーー晴は自分と血のつながった人間に、この時代で初めて会った。けれども、にわかに血縁者だという実感を得ることはできなかった。記憶にある母や妹の顔を、目の前に立つ暸子に重ねようとするが、うまくいかない。  そのことは晴を不安にさせた。  今から妹に会う。  父も母も、姉も兄たちも全員死んで、ただ一人、生き残っていた妹に。  しかし、八十年もの歳月を重ねた相手を、ちゃんと妹だと思えるのか? ーーにわかに自信が揺らいできた。  不安が晴れないまま、法廷で裁きを受ける罪人のような足どりで、晴は病室へ向かった。  病室は、四階にある奥の部屋だった。三人部屋らしい。入り口に掲げられた名札の一番上に「鈴木明子」と記してあった。  中は、薄緑色のカーテンで各ベッドが仕切られていた。本当に患者がいるのか疑わしいくらいに、人の気配がしない。ひどく静かだった。  暸子は入口にもっとも近いベッドに向かって、「お母ちゃん」と呼びかける。 「昨日、話した人たち。伯父さんの写真を、持ってきてくれたよ」  カーテンの向こうで、「ああ」とも「うぅ」ともつかない声が上がった。  覚悟はしていた。それでも暸子がカーテンを押し開けた途端、晴は心がかき乱された。  ベッドに横たわっていたのは、極限まで肉の落ちた小さな体の老婆だった。  髪はしばらく櫛を通していないようだ。まばらでくしゃくしゃで、黒い髪は一本もない。  死が間近であることを示すように、しみの浮いた皮膚は全体的に黄ばんでいる。すでに自力で食べ物を咀嚼するのが難しいのか、鼻に栄養をとるためのチューブが差し込まれていた。  それでも、 「遠いところ、来てくれて、ありがとーね」  掠れて不明瞭さが残る声で、つっかえながらも明子は自らの口で喋った。口の中の歯は、半分以上がなくなっていた。

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