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第6章⑤

 久太郎が暸子と一緒に出ていった後、晴は置き物以外のお土産を――ウサギ柄の小物入れや、スマホにつける根付を、明子が見えるように、枕元にある引き出しの上に置いた。どれも久太郎の祖父母の家に行った時、香絵からもらった小遣いで買ったものだった。  飾るだけで、陰気な病室が少し華やいだ気がした。 「かわいらしいねー」明子がつぶやく。 「晴にいちゃん。さっき出ていった若い男の人、だれ?」 「名前は、如月久太郎だよ。俺の上官だった人のひ孫さん」 「そう。にいちゃん、あの人のこと好いとるんでしょ?」 「………え?」  晴は絶句した。  黄ばんだ明子の両目に、いたずらっぽい輝きが宿っている。その目に、晴はなじみがあった。すぐ上の兄がよからぬことをしているのを見つけた時、明子はいつもそんな目つきをして、したり顔をするのだ。 「晴にいちゃん。昔から、男の子、好きだったでしょ。みんな、気づいてなかったけど、アタシは知っとったよ。アタシが、カッコいいと、思う人のこと、にいちゃんも、同じ目で見てたから」  晴は口をつぐんだ。  妹に、自分の抱える秘密を見抜かれていたなんて、まったく予想だにしていなかった。 「…誰かに、言ったか? 父ちゃんや母ちゃんには…?」 「言ってないよー。もし、晴にいちゃんが、生きて戻ってきてたら、相談したかもしれんけど。戻ってこなかったから…――」  明子は声をつまらせる。 「そうよ。誰も、戻ってこなかったんだよ。昭にいちゃんも、亘二にいちゃんも…あげくに、昌子ねえちゃんまで、ピカドンにやられて…」  目に浮かんだ涙を、明子はまばたきして払った。 「ようやく、晴にいちゃんが、帰って来てくれた。えらい、遅かったね。それに、昔のままなのは、なんで?」 「話せば長くなる。それより聞いてくれ、明子。もしかしたら、昌子姉ちゃんと昭兄ちゃんを助けられるかもしれないんだ」 「…どういうこと。助けられるって?」 「俺は昭和二十年六月から、この時代に飛ばされてきた。でも、元いた時代に戻ることができるんだ。亘二兄ちゃんは四月に死んじまったが、六月の時点ならまだ、昭兄ちゃんも昌子姉ちゃんも生きてる。うまくやれば、助けられる」  晴は、明子に向かってまくし立てる。 「それだけじゃない。お前の結婚相手がひどい奴だったことは、佐々木ん家のヨシ坊から聞いて、知ってるんだ。母ちゃんと娘を養うために、働きに出たことも…本当にごめんな。苦労ばかりかけた。でも、それだって変えられる。昭和二十年の六月に戻って、今度こそ俺がお前のことを守って見せるから…」  興奮し、身を乗り出す晴に、明子は皺だらけの手をわずかに上げた。 「それは、いけないよー。晴にいちゃん」  やんわりと、明子は兄に告げた。 「だって、他の人と結婚したら。暸子が生まれなくなっちゃう。それは、だめよ。アタシから、娘を奪わんといて」  晴は頭を殴られた気になった。  明子の娘。晴の姪に当たるあの老婦人が、この世界から存在しなくなることなど、少しも考えていなかった。  晴にいちゃん、と明子は呼びかける。 「元の時代に、戻らんといて。にいちゃんは、あの年の六月に、死んだの。戻ったら、いけないよー」 「だけど…」 「ねえちゃんや、にいちゃんらだって、きっと同じこと言うよ。命を失くすような、危ないことしてまで、助けてほしいなんて、思わんよ。それより、晴にいちゃんに生きててほしいと、思う…」  明子は咳をする。 「…確かに、アタシ、大変だったよ。働いて、お金稼いで、暸子を高校までやって…でも、年を重ねた今だから、思うの。幸せばかりじゃなかったけど、悪くない人生だったって。一生懸命、働いて、人さまのお役に立てた。娘も立派になって、孫にもひ孫にも、恵まれた。いまさら、別の人生に変えてほしいなんて、思わないよ」  ベッドに横たわったまま、明子は晴をじっと見あげた。 「昔は、にいちゃんのことが、とっても大人に見えた。でも、そんなこと全然なかった。本当は、こんなにも子どもだった。若くて、人生これからだった。未来があったはずだった。それなのに、何も知らないで、死んでしまった……何十年も、そう思ってた」  明子はまた咳き込んだ。先ほどより長く続く。晴は心配になった。 「娘…暸子を、呼んでこようか?」 「そうねー…疲れてきたわ」  明子は少しの間、目を閉じて、またすぐに開けた。 「あの一緒に来た、若い男の人。なんて名前だったっけ?」 「久太郎だ」 「久太郎さんのこと、好き?」  明子は先ほどの問いを繰り返す。 「…好きだよ」晴は認めた。 「どういうわけか、向こうも俺のことを好いてくれてる」 「あらー。よかったじゃない」  明子は心底、喜んでいるように見えた。 「晴にいちゃん、ひとりぼっちじゃないのね。ちゃんと、気にかけてくれる人がいるのね」 「…ああ。そうだな」 「それだけ、心配だったんよ。でも、聞けて安心した」  明子は再び、目を閉じた。 「もう、アタシのことはええよ。気にかけんと、放っといて。それより、好いて、一緒にいてくれる人を、大事にしてあげて。お互い、大事にし合って、生きていけることって…とっても、幸せなことなんだからね」

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