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第7章④
平田との通話を終えた後、晴は真っ先に久太郎の電話番号にかけた。
無情にも、流れてきたのは自動音声だった。
〈おかけになった電話番号は現在、使われておりません。再度、お確かめの上…――〉
電話を切った後、晴はしばらくその場から動けなかった。
しばらくして、昨日、現像した写真を本棚に置いたことを思い出す。いずれ写真立てを買って、飾るつもりだった。
晴は不安を抱きながら、写真を探した。それは、置いた場所にそのまま存在していた。
ただし――どの写真にも、何も映っていなかった。
晴も久太郎もいなくて、全面がマジックペンで塗りつぶしたみたいに真っ黒に染まっていた。
――久太郎…。
晴は写真を額に押し当てた。
「どこにいるんだよ。頼むから、帰ってきてくれ…」
夜中の一時頃、本当に平田から電話がかかってきた。
晴は起きていた。正確には布団に横になったまま、眠れずにいたのだ。夕食もろくに箸をつけず、平田に言われたごとく、この二日間に自分が取った行動を思い返していた。
久太郎に告白した。コピー屋で写真を現像した。求人誌を持って帰った。ゼリーを作った…。
そして、夜に久太郎とセックスした。
普段と異なる行動のひとつひとつを考える。しかし、何も発見できない。
過去を変えてしまうような――晴と久太郎が出会わないだけでなく、そもそも平田が久太郎のことを全く知らなくなるような事態を引き起こす要素は、どこにも見出せなかった。
まんじりともせず、ぐるぐると晴は同じことを考え続ける。
そんな中、スマホが光り、『春の小川』のメロディが流れ出した。
一瞬、久太郎からかかってきたのではないかと、晴は期待した。だが画面に表示されたのは、虎猫のアイコンと「平田」の文字だった。失望を抱きながらも、晴は電話をとった。
「やあ、鈴木君。言われた通り、夜中だがかけさせてもらったぞ。まず君に聞くが。過去の改変を生じさせるような原因について、なにか心当たりは見つかったか?」
「いいや。全然、分からんままだ」
「そうか…」
「そっちは? 何か分かったから、俺に電話してきたんだろ?」
平田が数秒、沈黙し、それからおもむろに晴に告げた。
「――何も、出てこなかった」
「どういう意味だ?」
「言った通りの意味さ。いいかい。君が過去に出会ったという如月久太郎と、彼の父親、叔母、叔父について、家のパソコンからできる範囲でサーチをかけた。しかし、だ。君に教えてもらった情報に基づいて調べても、何一つ該当するデータが出てこなかった。少なくとも、私が通う大学に如月久太郎という学生は在籍していないし、全国の病院や医療関連機関に、如月久治という医者は、存在していなかった」
「…見落としや間違いの可能性だってあるだろ。現に明子を探す時だって、時間がかかったじゃないか」
「そうだな。けれども、君の妹さんを探した時とはわけが違う。鈴木と違って、如月はかなり珍しい苗字だ。その上、大学に通ったり、働いたりと、現役で活動している。これだけ社会の隅々までインターネットが浸透した現代において、名前や身分がある程度わかっている状態で調査し、何一つ情報が出てこないのは、さすがに異常だ」
「探せないっていうのか?」
「…いいや。ただ、戦略を切り替える必要がある」
平田は深々と息を吐いた。
「鈴木君。君、さっきの電話で如月久太郎の祖父母の家に行ったと、言っていたな。三重の山奥で、その時に盆の供養で親戚たちが集まっていたとも」
「ああ」
「法事を取り仕切っていた僧侶は、近くの寺から来ていたか?」
「そうだ。確か、如月家の菩提寺だって言ってた。その寺の墓地に、久太郎のじいちゃんばあちゃんや、如月大尉どのの墓もある」
「なら、決まりだ」
平田が言った。
「明日、まず君を京都まで迎えに行く。その後で三重へ向かおう。田舎の仏寺の和尚なら、檀家のことを大概、詳しく知っているものだ。そのお寺の住職か、あるいは奥さんあたりとうまく話をすることができれば、如月家の人間たちの現状が多少は分かるはずだ」
翌日。朝の九時。
晴の姿は京都駅から少し離れた七条大橋の近くにあった。一時間ほど前に、平田からまた電話があり、そこで待機するように言われたのだ。
「わけあって、下宿に直接行けなくなった。理由は後で話すよ」
約束の時間ちょうどに、晴の前に車が止まった。見覚えがある車種。倉敷から帰る時、久太郎と一緒に平田に乗せてもらった車だった。
後部座席のドアが開く。そこに平田が座っていた。
「おはよう、鈴木君。さあ、乗ってくれ。話はおいおい、道中でしよう」
平田がつめ、あいたスペースに晴は腰を下ろす。
その時になって、晴は運転席にいる人物が先日の女性運転手でないことに気づいた。
振り返ったその人間は、老紳士という表現がぴたりとはまる銀髪の老人だった。自身より遥かに年若い晴に向かって、「やあ」と気さくに手を振る。
「久しぶり…というわけでもないな。この前の花火大会以来だね、鈴木晴君」
政治家だという平田の父親――現職の衆議院議員、平田耕介 がそこにいた。
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