73 / 87
第7章⑤
とっさに気の利いた挨拶ができるわけもなく、晴は「お久しぶりです」と返した。内心の困惑が、顔に出たらしい。平田の父親は、相手の緊張を和らげるように笑みを浮かべた。
「びっくりさせて、すまないね。今、お盆だろう。うちで働いてもらっている人たちにも、お盆休みを取ってもらっているものでね。ちょうどドライバー役が務まりそうなのが、家に私くらいしかいなかったんだ」
「――私も、運転免許を持ってますけど」
平田が刺々しい口調で、父親に告げる。
「来てくれなんて、頼んでないのに…しゃしゃり出てくるんだから」
「免許があると言ってもね。呉葉ちゃんは、若葉マークもピカピカの新米ドライバーじゃないか。いきなり何時間も、しかも高速道路を使うドライブなんて、無茶がすぎるよ。メスを握ったこともない外科医に、難しい手術をさせるようなものだ。父親として、残念ながら看過できるものじゃありません。まして――友だちを乗せて行くなんて」
平田の父親が、チラッと晴を見やる。人好きする顔と裏腹に、腹に一物抱えていることは、直ちに伝わった。当たり前だ。年頃の娘が、同年代の男と二人きりで遠出するなど、父親の立場では到底、見過ごせないだろう。
父親の言い分に、平田はさらに口をとがらせる。
「過保護すぎるんじゃない? そんなこと言って実践経験を積ませないと、いつまで経っても運転なんてうまくならないでしょう」
「お父さんとしては、ずっとペーパードライバーでいてもらって、一向に構わないよ。実践の結果、すでに車一台修理に出すことになったじゃないか。運転していたのが公道じゃなかったのと、呉葉ちゃんに怪我がなくて、何よりだったが…」
「ちょっと…鈴木君の前で余計なこと、言わないで!」
薄い色の瞳を細め、平田は父親をにらんだ。
「いいから、とっとと出発して! 頼んでもないのに自分で運転手役を買って出たんだから、運転に集中してちょうだい。目的地は、さっきカーナビに入れた通りだから!」
平田はそれだけ言うと、前と後ろの座席を隔てる仕切りに手をかける。
「おぉい。お父さんも鈴木君と、おしゃべりしたいんだけど…――」
平田は父親の要望を無視して、容赦無く仕切りを閉じた。
大きく息を吐いて、平田は背もたれに倒れ込む。そこで同乗者の視線に気づいた。
「何か、言いたいことでも?」
「…呉葉って、俺や久太郎と話す時と、自分の父親と話す時とで口調がずいぶん違うんだな」
「君だって、同輩者と話す時と父親と話す時とじゃ、口のきき方は違うだろう」
「それは、まあそうだが…」
平田ほどではないと晴は思ったが、黙っておくことにした。
仕切りを閉じれば、前後の座席は音が遮断される。
父親に会話を聞かれる心配がなくなった平田は、遠慮なく晴に言った。
「鈴木君。如月久太郎に関する君の記憶は、いまだ保たれたままかい?」
「もちろんだ。ちゃんと覚えている」
「なるほど。では現時点で、私の周りで改変される前の記憶を保持しているのは、君だけと言うことになる――花火大会の夜のことを父に聞いたが、父も如月久太郎なる人物について心当たりはなかった。何より、防犯カメラの映像という客観的証拠がある」
平田はスマホをいじり、保存してきた画像を晴に見せた。
暗いが、はっきり映っている。平田の母親が所有する建物と敷地の映像だ。
門のところに、平田と晴が並んで現れ、そのまま二人で中に入っている。その後も、二人で平田の父親と話をしたり、ベランダで花火を見る様子が映っていた。
見終わって、晴は改めてショックを受けた。
自分の記憶を信じて疑わないつもりだ。けれども、こんなものを見せられたら、さすがに自信も揺らぎが生じてしまう。
平田がスマホを置いて言った。
「……一番不可解なのは。どうして君の記憶だけ、改変されずに元のまま残っているかということだ。君がこの時代の人間ではなく、昭和二十年からやって来たからか。それとも、例の超常現象を引き起こすマッチの副作用なのか…?」
「…なあ」
「ん?」
「久太郎に、また会えるよな」
「そうだな……鈴木君。如月久太郎という人物のことをずいぶん、気にしているが。どういう関係だったんだい? 君の記憶において、最初に君を助けた人物だということは、聞いているが」
晴は口ごもる。その時、久太郎が平田について言っていたことを、ふと思い出す。
――彼女、俺がゲイだって知ってる――
平田は久太郎が同性愛者だと知っていた。知っていて、友人として接し、そして晴にそのことを一言だって匂わせることはなかった。
「――久太郎は、俺の恋人だ」
「……? 名前からして、如月久太郎は男性だと思っていたんだが」
平田は晴を数秒見つめ、それから目に納得の色を浮かべた。
「ーーなるほど。理解した。そういうことか」
「…まあ、そういうことだ」
「君が必死になって探そうとするのも、当然だな」
平田はニイっと笑う。
「下世話な興味が湧くな。昭和二十年からやって来た戦闘機搭乗員が、恋した現代の大学生…一体どんな男だい?」
「…会えば分かるよ」
晴はそれだけ言った。久太郎のことについて話し出したら、きっと途中で泣く気がした。
その後、平田と晴は再び、今起こっている事態について話し合った。しかし、解決の糸口は一向に見つけられない。
そうこうしている内に、車は三重県内に入った。
ともだちにシェアしよう!