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第7章⑧
久太郎の祖父母の家があった場所には、積み上げた石垣がわずかに残るばかりだった。
晴は既視感を抱いた。久太郎と一緒に故郷の壱ノ日島へ行った時、晴の住んでいた家はすでに無くなっていた。あの時と同じだ。
石垣のあちこちに雑木が根を張り、幹や枝が絡みついている。崩れている部分も少なくない。昔、その上に建っていた家屋と土蔵はとっくの昔に崩落したか、あるいは人の手で撤去されていた。見えるのは平田や晴の背丈ほどもある雑草ばかりで、小さな虫がその間を飛び交っていた。
晴の記憶では、まだ一週間も経っていない。
まさにこの場所で、久太郎の父や叔母や叔父が、如月友弥の財産をめぐって争っていた。争いの元となったものは、もはや存在しない――当の本人たちも含めて。
石垣のすぐ下の道路に、セダンが停まっている。運転席にかがみ込み、父親と話していた平田が、そこを離れて石垣を登りだす。登りきった先で佇む青年に向かって、彼女は言った。
「父がそろそろ市街地に出て、遅い昼食をとらないかって、提案している」
「……」
返事をしない晴に、平田はため息をついた。
「落ち込むのは理解できるが。いつまでも、ここに残っているわけにもいかない…」
言っている途中で、何かを察したように、平田は表情を変えた。
「――君、ろくでもないことを考えてないか?」
無言を貫く相手の背中に、平田は説得の言葉を投げつける。
「早まるんじゃない。仮に、もといた時代に戻り、如月大尉の妻子を助けて、改変をなかったことにしても――君自身はもう、こちらに戻ってくることはできない。如月久太郎に会うことは、できないんだ。それどころか、君自身が戻った直後に死ぬ可能性が高い。いいか? たとえ改変前の過去に戻したところで、君が得るものなんて何もないんだ…」
その時、晴がようやく口をきいた。
「呉葉。お前、友だちいるか?」
「なんだい、突然? 脈絡のない質問だな」
「いないのか?」
晴の指摘を、平田は笑い飛ばそうとして失敗する。痛いところを突かれて、顔をしかめた。
「…お察しの通り。私に友人と呼べる人間は、いないよ。私は人の気持ちを斟酌するのも、それを尊重するのも苦手だ。他人に自分を無理やり合わせることもね。だから、友だちはいないと言っていい」
「久太郎は、お前のたった一人の友だちだったよ。前に、呉葉自身がそう言っていた」
それを聞いて、平田は口を閉ざす。
晴は、かつて家があったあたりに――今はただ、雑草が生い茂るばかりの場所に目を据えたまま、つぶやいた。
「――どうするか。すぐに、結論を出せそうにない。何日か、考えさせてくれ」
昨夜、晴はほとんど眠ることができなかった。
寝不足の身体で、緊張の糸が切れ、さらに昼食をつめこんだことで、思いがけず帰路の道中で寝入ってしまった。
車の中で眠ってしまった晴は、意外な音で起こされた。
ラッパの音だ。
毎朝、兵舎に鳴り響いていた起床ラッパのあの旋律が、耳元で高らかび鳴り響く。
その瞬間、晴は反射で飛び起きた。
「えっ……え?」
一瞬、どこにいるか分からずに晴は混乱した。それもそのはず。ラッパの音で叩き起こされたのに、伊丹の兵舎ではなく、ハイブリットカーのシートの上に座っていたからだ。
音にかぶさるように、しわがれた笑い声が上がった。
「――自衛官をしていた知人がね。どんなに熟睡していても、この音がすると100%起きると言っていた。それを思い出す反応だ。昔の軍人も、そこは変わらないようだね、鈴木君――あ、鈴木伍長と呼んだ方がいいかな?」
平田の父はそう言って、ラッパの音を流していた動画を止めた。
晴は状況が飲み込めず、目を白黒させた。
いつの間にか車が停まっている。おそらく、どこかのサービスエリアの駐車場に入ったのだろう。隣の席を見ると、こちらも徹夜からくる睡眠不足で眠ってしまったらしい平田が、すやすやと寝息を立てていた。
「高速道路を降りるインターチェンジまで、あと二、三十分ほどだよ」と、平田の父は聞きもしないのに、晴に教えてくれた。
「それまで少しの間、私とのおしゃべりに付き合ってくれるかな?」
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