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第8章①
この時代に来た時、身につけていた飛行服や帽子、眼鏡のたぐいはすべて、保管していた場所にあった。晴が服のポケットを探ると、ありがたいことに煙草の箱が見つかった。久太郎には没収されたが、平田は晴がそのまま持ち続けることを認めたようだった。隠しておいた拳銃も、忘れないよう靴箱の下から引っぱり出す。
必要なものをそろえた後、晴は便箋の代わりになりそうなものを探した。平田が使っていたレポート用紙があったので、それを拝借することにする。
ちゃぶ台に向かい、晴は用紙の一行目に記した。
〈如月久太郎様〉
久太郎に読んでもらえるか、分からない。そもそも手紙を書いて、それが残るかもあやしいところだ。それでも一縷の希望を託して、晴は思いの丈をつづった。
〈突然の別れで、驚いていると思う。悲しんでいると思う。でも、どうしても元の時代に戻らなければいけなくなったんだ――〉
晴は、昨日から今日にかけての出来事を書いた。
目が覚めたら、久太郎が消えてしまっていたこと。過去が改変され、久太郎の祖父、友弥が昭和二十年に亡くなってしまったこと。その原因が、この時代に残ろうとした晴の決断にあったこと――。
〈――久太郎や久太郎の親父さんたちのことを、俺だけが覚えていた。理由ははっきりしない。でもきっと、俺だけが過去を元通りに戻せる人間だからじゃないかと思う。
俺は、如月大尉どのが、奥さんや子どもをどんなに大切に思っていたか知ってる。どんなことがあっても、守りたかったはずだ。
その人たちを、みすみす死なせるわけにはいかない。
何より、久太郎。お前が生まれてこなくなるなんて、絶対にダメだ。
だから、俺は帰る。この世界にもう一度、お前を取り戻すために。
きっと、心配するだろうな。でも安心してくれ。俺は必ず生き残る。
久太郎のじいちゃんを助けて、生き残って、昌子姉ちゃんと昭一兄ちゃんを救いに行く。
戦争が終わったら、お前のじいちゃんに会いに行く。大尉どのの話を、俺が知る限りの話をしてやるんだ。
そんで、できる限り長生きするよ。
よぼよぼのじいさんになっているだろうけど、きっとお前に会いに行く。
どうか、その時は笑って迎えてくれ。お前が悲しんでいる姿なんて、見たくない。だから、どうか――〉
晴の目に涙がたまり、小さな雫が紙の上に落ちた。
〈どうか、この別れを悲しまないでくれ。久太郎と過ごした日々は、俺にとって奇跡みたいなものだ。恋して、結ばれて、とても幸せだった。ありがとう。
世話になったのに何も返せないことを、心苦しく思う。呉葉にも伝えといてくれ。悪いけど、拳銃だけはやれないって。だけどいずれ、軍服一式を呉葉の親父さんに託すから、それで勘弁してくれ。
最後になったが、どうか元気でいてほしい。
そして、いつの日か、ほかの誰かと幸せになってくれ。
それだけが、俺の望みだ。
令和×年八月十六日 鈴木晴〉
書いている間に、晴のスマホに何度かメッセージの着信があった。すべて平田からだ。
アプリを開くと、晴の体調や精神状態を問う文面がずらずらと並んでいた。
晴はひとこと、〈もう寝るよ〉と返して、電源を切った。
手紙を書き終える頃には、すっかり夜になっていた。耳をすますと、人の声が表通りから聞こえてくる。気になった晴は、そのにぎやかな雰囲気に誘われるように、外に出た。
通りは、いつになく人が多かった。その多くが適当なところに立ち止まって、山の方を眺めている。晴がそちらに目を向けた時、ちょうど山腹に炎が一つ灯った。
見つめる内に、火の数は増えていき、ついに「大」の文字を形作った。
京都の夏の風物詩。盆の終わりを告げる五山送り火だ。
今の街には、夜でも光が満ちている。昔ほどの鮮烈さは、ないかもしれない。それでも晴は周りにいる人間たちと同じように、炎で描かれた巨大な文字にしばし見とれた。
――亡くなった人の魂が、お盆に帰ってくるから。それを送り出すための行事だよ――
久太郎の言葉を思い出し、晴は微かに笑った。
おそらく、晴も似たような存在だったのだ。この時代で過ごして、色々なことを経験した。けれどもそれも、もうおしまいだ。
もといた場所へ、帰る時が来た。
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