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第8章③

「―― 十時方向に、かもくじら(B - 2 9 )の編隊発見。繰り返す。十時方向に、かもくじら発見。各機、高度五〇(五千メートル)まで上昇せよ……」  …ーー発動機の轟音と共に、雑音混じりの無線が晴の耳に届く。  あれほどいた虫の気配が消えている。眩しさを覚えて、晴は閉じていた目を開けた。  眼前に、おそろしいくらい透徹した青空が広がっていた。味方の飛燕の銀翼が、虚空を切り裂いて東へ進んでいく。酸素マスクの下で、晴は大きく息を吐き出した。 ――戻ってこられた。  昭和二十年六月二十六日。運命の日に。  無線で丸山大尉の命令を聞いた仲間が、次々とエンジンの出力を上げて上昇へうつる。晴も急いで、それにならった。  計器盤の一角にはめ込まれた高度計の針が、右へ傾いていく。やがて五千メートルを指した時、ジュラルミンの翼を持つ燕たちが、左旋回を始めた。  敵B-29との高度差は千メートル程度だろう。近づくにつれ、晴の目にもその規模が分かってきた。  二十機はいる。大編隊というわけではないが、相当な数だ。  悠然と飛行するB-29の姿は、その巨体も相まって、あたかも大海を征くクジラの群れのようだ。ただし、このクジラは十数丁の機関銃を身体にまとっている。もし、わずかでも敵の気配を察したら、即座に全身を震わせて、毎分八百発の弾丸を、全方位に撃ってくることになる。  本来、B-29はもっと高高度に――それこそ日本の戦闘機が、まず上がることができない海抜一万メートルほどの高さを飛んでいた。しかし、爆撃の精度を上げるためだろう。最近では五千メートル以下の低空で襲来することも、珍しくなくなった。その高度であれば、飛燕を含む陸海軍の戦闘機が戦える。  しかしなにぶん、晴たち飛燕は二十機に満たない。数の上で、あまりに心もとない。  その上、さらに肝を冷やす事実が晴たちに伝えられた。 「くじらの下に、五、六機のいわしを確認」  いわしは、アメリカ軍の戦闘機を指す符牒だ。  B-29についているなら、ほぼ間違いなくP-51「マスタング」だ。低空を飛ぶB-29の護衛に付けられたのだろう。数は多くはないが、十分すぎる脅威だった。  飛燕の編隊を率いる丸山大尉は慎重な指揮官で、やみくもに突っ込むことはなかった。そのことは、逆に晴を焦らせた。  早く攻撃をしないと、B-29の編隊が津市上空に到達してしまう。  その時、銀色のクジラたちが、二つの大きなかたまりに分かれ出した。別々の方向へ向かっている。  分かれたうちの半数が、進路を北へ変える。岐阜方面へ向かうようだ。その集団に、P-51が随伴した。  そして、残る半数ーー東へ向かう集団には、援護の戦闘機はつかなかった。  それを見た丸山大尉が、無線を通じて命じた。 「全機、速力を上げて隊長機に続け! 『タ弾』投下準備!」  晴は、はっとなった。そうだ。今日、戦隊の飛燕は、各々二発ずつ「タ弾」――「タンク攻撃弾」と呼ばれる、時限式の空対空弾を翼の下に吊り下げて離陸していた。  この爆弾は落下後に時限信管が作動することで、広範囲に小さな炸薬弾を撒き散らす仕組みになっている。通常の12.7ミリ機銃だけでは撃墜が困難なB-29に対して、これまでにもこの空対空弾が使われたことがあった。  飛燕の編隊が、東へ向かうB-29たちの後上方から接近を試みる。  晴は焦る心を抑え、自分に言い聞かせる。 ーー大丈夫だ。とにかく、確実に爆弾を落とせ。そうすれば、B-29をやっつけられる。  飛びながら、吊り下げた爆弾を落下させる手順を、晴は何度も頭の中で繰り返す。  やがて、その時が来た。  丸山大尉は、うまく近づいた。燕たちは音もなく、クジラたちの後上方に占位する。  左後方の三機ほどに、丸山大尉は狙いを定めた。近づきながら、高度を落とす。  彼我の差が二百メートルにまで縮まった時――時限信管の爆弾が最大限の効果を発揮し、逆に敵機銃の有効射程圏外の距離で――丸山大尉は、全機に命じた。 「――投下!」

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