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第8章⑥
第百何回目かをむかえた、全国高等学校野球選手権大会が始まった日。
京都三条にある前世紀の店構えをしたバイク屋で、店主の福家はテレビの前に陣取り、地元関西の高校を応援していた。九回表までは、一点差を追う展開。しかし、その回の裏でついにツーアウト一塁、三塁と逆転のチャンスがきた。
パチンコ屋でもらったうちわ片手に、福家は勝負の行方を見守る。
ちょうどその時、客の来店を知らせるチャイムが鳴った。
「…ちっ。いいところなのに」
福家は、めんどくさそうに立ち上がる。冷やかしの観光客なら、とっとと追い払ってやる気でいた。
ところが表に行き、客の顔を見た途端、福家は表情を一変させた。
散らかった店内の真ん中に、背の高い人の良さそうな青年が立っていた。
「久太郎じゃないか! ずいぶん長いこと、顔見せてなかったな」
「お久しぶりです。福家さん」
「元気か? 人づてに、バイクでこけて大怪我したって聞いてはいたが…」
「おかげさまで、すっかり元気です」
久太郎は笑って答える。だが、酷暑にもかかわらず、長袖を着ている。
その左手の袖口から、火傷の跡がのぞいたことに福家は気づいていた。
「…今日はどうした? 暑中見舞いのうちわでも、持って来てくれたか」
ハゲ頭をあおぎながら、福家は冗談めかして言う。
だから、久太郎が次のように言った時は、正直驚いた。
「バイトして、やっとお金が貯まったんで。新しいバイクを買おうと思って、来ました」
「……まじか?」
「はい」
「親御さん、怒るんじゃないか? 怪我して、一年も経ってないだろう。ちゃんと話、つけて来たのか」
「父親には言いました。ーー『勝手にしろ』って、感じです」
久太郎は、淡々と店主に説明した。
「就職先が、決まったんです。三重の田舎なんで、車かバイクがないと生活が厳しくて。今は、まだバイクに乗り続けようと思います」
「――そういうことなら、ちょっと待ってろ。ちょうど、使用年数が浅い中古のいいやつが、何台か入ってきたところだ。まとめて、見せてやる」
福家は久太郎を伴って、店の奥へ向かう。その途中でテレビにチラリと目をやると、試合はすでに終わっていた。
スリーアウトを取られ、応援していたチームは惜しくも敗退していた。
ーー約一年前、終戦記念日の八月十五日。
久太郎は学習塾のアルバイトからの帰り道、脇見運転していたトラックと接触事故を起こした。
事故当時の記憶は、今もあいまいだ。
気づくと搬送先の病院のベッドの上にいて、そのまま一ヶ月近く入院した。
目撃者たちの証言では、後ろからぶつかってきたトラックに跳ね飛ばされて、久太郎はバイクごと路肩に横転した。身体を強く打ったものの、幸運にも裂傷や骨折は免れた。
深刻だったのは、どちらかというとその後だ。
スリップした時の火花が、燃料に引火したことで、バイクはあっという間に火に包まれた。消防車が来た時には、炎の勢いはすでに手がつけられないくらいになっていた。オンボロバイクはそのまま火葬されて、黒焦げのスクラップと化した。
そして、乗っていた久太郎も、左上半身に火傷を負った。たまたま居合わせた通行人が、果敢にもバイクから引きずり離してくれなければ、もっと酷いことになっていただろう。
入院先にまず父親が来て、その二日後に母親がアメリカからやって来た。
父親からも、母親からも、長時間、説教をくらった。久太郎は甘じてそれを受けた。
二人に心配と、多大な迷惑をかけたのは間違いないし、母親が遠くから来てくれたことは、素直にうれしかった。
それから、平田をはじめとする友人や、盆で会ったばかりの親戚たちが見舞いに来た。
しかし、一番来てほしかった人間は、ついに来ずじまいだった。
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