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第8章⑧
福家のバイク屋で、久太郎は結局、前に乗っていたのと同じメーカーのバイクを買った。色も同じライムグリーンである。中古とはいえ、ほとんど新品と変わらない。本当は久太郎の予算よりも高額だったが、福家は内緒で割引してやった。せめて質のいいものに乗って、もう二度と大事故を起こして欲しくないという、親心に似た気持ちからだった。
新しいバイクが到着して、一週間が経ち、久太郎が操縦にも慣れてきた頃のことである。
そろそろ、またお盆の予定を立てようと考えていた時、突然、スマホが鳴り出した。
電話をかけてきた相手が誰か知って、久太郎は顔をほころばせた。
「もしもし、平田さん? 今日、確か近代史ゼミの卒論構想発表会だったよね。おつかれさま。どうだった?」
てっきり発表が無事に終わって、打ち上げの誘いだと久太郎は思っていた。
ところが、平田の返事は「発表会なら、出なかったよ」だった。
久太郎がその意味を理解するのに、十秒ほどかかった。
「…出なかったって。え、病欠?」
「いいや。気づいたら、普通に時間が過ぎていた。というか今、京都府外にいる」
「ちょっと! 欠席したら、かなりまずいだろう」
下手したら、留年につながりかねない状況である。しかし、久太郎の慌てぶりとは裏腹に、平田はあっけらかんとしていた。
「安心したまえ。もう指導教官に、事情は話した」
「それで…?」
「怒っていたな」
「当たり前だよ! ちゃんと謝ったの?」
「ああ、もちろん。誠心誠意、謝罪した」
本当かどうか、残念ながら疑わしいセリフだった。
平田は愉快そうに、ゴロゴロと喉を鳴らす。なぜか少し、興奮もしているように久太郎には感じられた。
「久太郎君。明日でいいから、付き合ってほしい場所がある。予定を明けておいてくれ」
アルバイトがある、と言いかけて、久太郎は先に尋ねた。
「どこに行くつもりだい?」
「…借金の取り立てだよ」
平田は言った。
「鈴木君を、ようやく見つけたんだ」
数日後。京都発のニュースとして、その映像はテレビに流れた。
〈――今から約八十年前、三重県上空で行方不明となった航空機を、京都市内の大学に通う大学生が見つけました。
発見した平田呉葉さんは、○○大学の四年生。平田さんは去年の夏頃から、卒業論文の調査の一環として、約八十年前の昭和二十年六月二十六日に、三重県津市上空で消息を絶った陸軍の三式戦闘機、通称「飛燕」の行方を調べていました〉
(インタビュー映像:平田呉葉さん)
「飛燕を探すきっかけになったのは、その日に亡くなったある搭乗員の方を知ったことでした」
〈鈴木晴さん。当時、十八歳。鈴木さんは昭和二十年六月二十六日、日本本土に襲来したアメリカの大型爆撃機B-29を迎撃するため、現在の大阪国際空港の前身である伊丹飛行場から、「飛燕」で飛び立ちました。鈴木さんの乗る飛燕は、津市上空で撃墜されたとされていましたが、その消息は長らく不明のままでした〉
(インタビュー映像:平田呉葉さん)
「鈴木さんのご遺族を尋ねた時、お骨の代わりに白木のかけらをお墓に納めたと、聞きました。それで、当時の軍が亡骸を見つけられなかったか、あるいは探す余力自体がなかったんじゃないかと考えたんです。当然、彼が乗っていた飛燕もです――」
〈平田さんは、戦後に出た複数の目撃証言から、鈴木さんの飛燕が墜落したおよその場所について仮説を立てます。そこから衛星写真の画像を、丹念に調べていきました〉
(インタビュー映像:平田呉葉さん)
「正直、見つけられる自信はありませんでした。八十年も前の出来事です。それに、読んだ記録では、墜落時にすでに炎上していたとありましたから。それでも、山の中に何十年も放置されたままだというのなら――見つけてあげたいと、思ったんです」
〈調査を始めて約一年。平田さんは人工物を判定するAIソフトも活用し、ついに墜落した機体の一部を発見します〉
(インタビュー映像:平田呉葉さん)
「最初に見つけたのは、飛燕の右の翼です。地面に半分以上埋没して、一部分だけ地表に出ていました。墜落時にそうなったのか、その後、土砂崩れなどで埋まったのかは、分かりません。どちらにせよ、この翼を見つけたことで、さらにいくつかの部品の発見につながり、墜落現場の特定に成功しました」
〈今回の一連の調査を、平田さんはこれから論文としてまとめ、いずれ正式に発表する予定だと言います。
…十八歳で命を落とした鈴木晴さん。彼について平田さんは、こう語ります〉
(インタビュー映像:平田呉葉さん)
「…戦闘機のパイロットと聞くと、何か特別な人間のように感じるかもしれません。でも、私はそれ以外の面も見てほしいです。鈴木さんが、もし平和な時代に生きていたら、きっと私たちと同じように青春を過ごしたと思います。泣いたり、笑ったり、ケンカしたり、落ち込んだり――誰かを好きになって、デートだってしたんじゃないですかね。
彼を英雄視することも、逆に単なる戦争の被害者というレッテルを貼るのでもなく、鈴木晴という人間として、考えてほしいと思います」
〈ーー太平洋戦争の終結から、すでに八十年余り。語り手がいなくなっていく中、平田さんの発見は改めて、私たちに戦争の悲惨さと無情さを考えさせるきっかけを与えています……〉
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