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第11話-5
「そっちはどう?」
食事に夢中になりすぎて目の前にいるのが初めての恋人である身構えがなく、同僚に進捗を伝える感覚で言葉が無意識に出る。
「資格の勉強は進んでますよ。大学も始まりましたからそろそろ試験の準備を始めようと思ってます」
「そっか……え、大学?」
一瞬にして職場ではないのを理解して顔を上げれば、いつもの優しい笑みとぶつかる。
(あ、そうだ!)
「だ、大学ってもう始まってるのか?」
「始まってますよ。といってもまだ本格的な講義はないですから。ただ今のうちに試験の準備したほうが後が楽かと思ってます」
「そう、だね。……水谷君、年末年始勉強は……」
言葉を濁す。自分の意識の中ではずっとセックスしていた印象しかなく、彼が勉強できる時間を奪ったのではないかと疑念が湧き上がった。隆則があんな行動しなければ彼はもっと勉強に集中できたのではないか。
「違いますよ、名前」
笑顔を崩さず語気だけが強まるのに慌てて言い直した。
「ごめん……は、ると」
名前で呼び合うよう乞われていても、本人を前にするとつい今まで通りの呼び方になってしまう。恋人同士がどんな風に呼び合うのかすら分かっていない。なんせ、人間関係で一番親密に過ごしていたのが会社という枠の中で、互いに姓で呼び合うのが通例で、先に入社した社員は「先輩」を付け、上司は役職を付ければいいという単純なかつ明快なシステムの中に長く身を置いた隆則にとって、誰かを親し気に名前で呼ぶのは違和感意外でしかなかった。
妄想の中でならいくらでも名前呼び出来たが、本人を目の前にして果たして慣れることができるのか不安でしかなかった。
何度も指摘されても、本人を前にしたら緊張して名前で呼ばなければならないことを忘れてしまう。
しかも部下でも上司でも後輩でもない、恋人の呼び名だ。何が普通なのかわからなくて困惑してしまい、言葉がたどたどしくなる。
遥人は呼ばれるだけで、眦が下がるほど甘い表情になる。雰囲気の柔らかい彼にそんな表情をされると、自分がとても大事な存在のような気になってしまい、余計に焦ってしまう。
警鐘が頭一杯に鳴り響く。
「チェックが終わって納品したら、今日は早く休めますね」
この数日、自室に籠って仕事ばかりをしてほとんど遥人と顔を合わせていない。時間に余裕のある仕事だから普通に夜になれば僅かながらの睡眠時間も確保されていたから、彼の勉強の邪魔をしないために綺麗にしてもらったベッドで仮眠をとることはできた。デスマーチという程タイトな仕事ではなかったから精神的にも余裕がある。
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