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第18話-10

 意識しないまま、昔のように定位置のダイニングチェアに腰かけ、借りてきた猫のように身体を縮こませながら遥人の一挙手一投足を窺った。  上着を椅子に掛けると当然のようにキッチンに入っていき、下ごしらえを済ませていた鍋に火を点け、あの頃と同じように料理を作っていく。手慣れた早さでどんどんとテーブルに並ぶ料理の数々は、一緒に暮らしていた頃、隆則が喜んで口にしていたメニューばかりだ。  箸も箸置きも、茶碗一つあの頃使っていたのと同じものが並べられ、タイムスリップしたような不思議さしかない。もし遥人があの頃と同じ私服で少し長い髪のままなら、懐かしい記憶が恋しくて夢を見ているんだと感じただろう。  ワイシャツ姿で黒縁の眼鏡の、さも仕事ができそうなサラリーマン風な彼が消えることなく目の前に座った。 「召し上がってください。隆則さんの好きなものばかりですよ」  あの頃と何一つ変わらないセリフなのが余計に隆則の心を縮こませる。彼が何をしたいのかわからないのがこんなにも怖いとは思いもしなかった。ただ食事をするだけならば近くの店で済ませればいいのに、なぜこの部屋へと連れてきたのだろうか。もう隆則の荷物など一つもない空間のはずなのに、未だ一緒に住んでいた頃と何一つ変わっていないのがただただ恐ろしい。  震える手で箸を握りおかずに伸ばしてもきっと味なんかわからないと思っていた。だがジャンクフードやコンビニ弁当に辟易していた舌は久しぶりに味わう出汁を利かせた手料理の数々に、心と裏腹に喜んではもっとと求め始める。あの頃と変わらない味わいの好物に竦んでいる心を置いてけぼりにしたまま箸だけが進んでいく。 「……美味しい」  ポロリと零れる言葉と共にずっと胸の奥まで貯め込んでいた息を吐き出した。今住んでいる町の商店街に並ぶ飲食店はどれも美味しいはずなのに、必ず遥人の料理と比べてしまっては次第に足が遠のいた。そして腹を満たすために口にし始めたのは変わらない味のコンビニ弁当やジャンクフードばかりになった。一年半も離れていたのに、遥人の味を忘れられずにいたばかりか脳内が久しぶりに幸福感を味わったとばかりに麻痺し始める。  たった一言に、遥人がこの上なく嬉しそうに笑っているのを知らないまま、腹が満たされるまで貪り続けた。ようやく飢えから解放された植物のように存分に味わって、米の一粒も汁の一滴も残さずに食べると、ようやく箸を置いた。

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