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5.恐怖!人喰いオポッサム、闇に消ゆ!③

 他の仕事のことは知らないけれど、ヤクザの世界は男の嫌なところが煮詰まったコールタールみたいだと、景虎はそう思う。  本当に俺たちはサル以下だ。キーキーキーキーうるさくて、群れないとなにもできない。  暗い路地裏の、豚骨のようなパンチの効いた臭気と熱を吐き出す飲み屋の換気扇の下の壁に、ちょうど最後まで立っていた男の顔面がめり込んだ。積み上がっていたプラスチックの酒用コンテナを四方に飛び散らせながら、男は地面に伸びた。壁際には他に3名ほど、男たちが重なるように倒れている。 「相変わらず強いね、惚れちゃう」  国枝はキャバクラの裏口のドアにもたれかかって、タバコを咥えながら拍手をした。電話口ではだいぶ酔っ払っている風だったのに、実際会うとそこまでではなかった。にも関わらず、景虎が入店したときにはもうきっちりと揉め事は始まっていた。 「終わったなら帰りたいのですが」 「つれないね、まあまあ待ってよ。家まで車で送ってって」 「やっぱりそれですか」  景虎はため息をついた。国枝は現役バリバリの武闘派だ。そこらのチンピラ数人に囲まれたとしても別にひるまない、どころか場合によっては返り討ちにするだろう。なのに景虎を呼んだのは、酒を飲んだその帰りの代行運転手にしたいから。それに、景虎が露骨に嫌そうな顔をするのを見たいからというのも大きそうだ。  国枝は携帯灰皿にタバコを押し付けて消すと胸ポケットに入れた。そして倒れている一人の側にしゃがむと、髪を掴んで顔を持ち上げた。鼻血が出ているその顔を、じっと見た。 「クソが。“織原の虎”まで呼んできやがって……おおごとにしたいのかよ」 「ウケる~。お互い喧嘩せずに飲もうねって言ったのに、結局因縁つけてきたのそっちでしょうに」  にこやかに言うと、ノーモーションで顔の真ん中を拳骨で数発殴った。国枝の指にはゴツい指輪が何本かはまっている。彼女に貢いでもらったプラチナ製だという。  シチュエーションは最悪だが、国枝の笑顔は、なかなかに魅力的だと景虎は思う。普段は眠そうで光のない瞳が人懐っこく細められ、捻り上げた口角に笑窪が浮くその様は、笑ったら可愛いと女性に言われるのも納得のギャップがあった。ヒモをやってるだけのことはある。 「ごば……」  すでに青息だった男は、鼻の柱をまともに殴られ白目を剥いた。 「スッキリしたし、行こ」  国枝は男を地面に投げ捨てると、車の鍵を景虎に投げてよこした。キャバクラから数分歩いた駐車場に、国枝の黒いラングラーが夜の闇に身を潜めるように停まっていた。彼女がサーフィンが好きだから、ボードを積めるように買った(彼女のお金で)らしい。  飲酒している持ち主に代わり、景虎が運転して自動精算機で金を払う。札を入れるために腕を伸ばす景虎を見て、国枝は助手席から茶々を入れた。 「駐車料金を払ったり、駐車券を取ったりする男の腕ってセクシーだと思うんだよねえ」  景虎は特にそれにはアクションをせず、いつもの冷たい声で返した。 「……一人で飲んでらしたんですか?」 「なんか知らない間にみんな帰っちゃってえ……」  国枝は寂しそうに答えたが、組のものはみんな彼の酒癖の悪さを知っている。面倒事に巻き込まれないように一人一人こっそり席を外していったのだろうなという想像がついた。  駐車場を抜けて、夜の都会の区画を切り取るように車は進んでゆく。国枝は怠そうに背伸びをした。 「最近さ、活発だと思わない? 川濱組の若い子の動きが。この前、工事現場で景虎のこと殴ったのも川濱でしょ。いきり立ってるよねぇ」 「そうなんですか? 俺には誰がどの組だとかさっぱり」 「ふふ。幼稚園児みたいに、胸に名札つけててくれりゃ楽なんだけどね? 『かわはまぐみ』って」  川濱組は、景虎たちの属する織原組と昔から仲の悪い暴力団組織だ。規模も同じくらいで縄張りが近いので、しょっちゅうぶつかってはいるが、本格的な抗争にはいたっていない。  最近、穏健派だった川濱の若頭が、内部抗争に巻き込まれ懲役を食らった。そのため、別の派閥の血の気の多いのが沸き立っているとの噂がある。 「庄助は? 確か今日は営業行ってたでしょ」 「はい、外回りです。老人介護施設のレクリエーション用に、パチンコ台や麻雀卓の営業に行ってました」  老人の相手は疲れたと言いながら、よくわからないせんべいなどの米菓を、大量に家に持って帰ってきた。取引先での庄助の印象は、おおむね好感触のようだ。

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