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8.殺人と寿司②
「……老人だましてしょーもない銭稼ぎをやっとる奴のツラ、一発ぶん殴ったろ思てな」
椅子に座らせられるまでにだいぶ痛めつけられたが、庄助の腹の中にはまだ義憤の火種が燻っている。気持ちが折れないように精一杯、睨み返した。
アリマ老人には、子供がいない。夫を亡くしてから身寄りがないらしい。老後の貯金で、ただのひとりきりでデイサービスに通っている。何も悪いことをしていない弱い人間が、金を盗られるいわれはどこにもない。
極道の力は、弱いものに対して向けられるべきではない。庄助は少なくともそう思っている。アリマのように騙される老人は沢山いるだろうが、卑劣な詐欺を目の当たりにして怒れないのなら、侠客として、ひとりの人間として終わりだと思った。
茶髪の男はせせら笑った。
「そのしょーもない金を稼いでる奴らに捕まって、リンチされてりゃ世話ないよな」
「う……ほっとけ、後ろから、しかも3人で襲ってきやがって。卑怯な奴らよりマシや。つーか……兄ちゃん。明るいとこで見たら、カゲの言う通りオランウータンそっくりやなァ」
奇しくも、景虎がどうのこうの言っていたボルネオオランウータンの茶色の被毛は、男のボサボサの茶髪と似ていた。
景虎ののんきな言葉を思い出して、こんな時なのに吹き出してしまった庄助の腹に、男の尖った靴の先端がめり込んだ。
「がァ……!」
ボン、という重い音とともに、せり上がった内臓が気道を圧迫する。呼吸が止まって、頭の裏で火花が爆ぜた。一瞬天地がひっくり返って、身体がぐらつく。
「おい、そいつ剥け。裸にしろ」
茶髪がそう命じると、肥った男とピアスの二人がかりで無理矢理立たされて、ジーンズを引きずり下ろされた。腹を蹴り込まれたダメージで、血の混じった薄いピンクの涎が庄助の口の端から垂れた。後ろ手に縛られているので、手首のところでパーカーがもたつく。乱暴に脱がされ、外気に晒された薄い肌に鳥肌が立った。
「あれぇ? どこにも刺青入ってないんだね、庄助ちゃん」
「……く」
茶髪がこれみよがしにちらつかせているそれは、漫画や映画で観るような、チャキチャキと音を立てて飛び出るバタフライナイフだった。寝かせた刃を首筋から胸元に滑らされて、庄助は生唾を飲み込んだ。
「残念。刺青の部分剥がして、遠藤に送ってやろうと思ったのに。まさかこっちに入ってる……わけないかぁ」
パンツの隙間にナイフが滑り込んでくる。ぐっとゴムを伸ばされ、中を覗き込まれた。縮こまったそこを見て、男たちは笑った。
正直なところ庄助は、恐怖と屈辱で震え上がっていた。殴り合いの喧嘩をしたことは何度もあるが、拘束されて一方的な暴力を受けるのは初めてのことだった。いやだ、やめてくれと叫びだしそうになる唇を引き結んで、男たちを睨んだ。
茶髪がぴたぴたとふざけて操るナイフの、鈍色の平面の部分が下腹に当たる。切っ先が刺さりそうで恐ろしかった。
「許してほしい? 解放してやってもいいぜ」
茶髪は庄助をもう一度椅子に座らせると、項垂れる顎の下に指を入れ持ち上げ、目を見て告げた。解放という言葉に、ある程度の肚は括っていたはずの庄助の気持ちが揺らぐ。
「助かりたけりゃ、遠藤に電話して呼び出せ。あのボケ、次こそはらわたにナイフぶち込んで捻ってやる」
顔の前にスマホを突きつける。庄助は画面から目を逸らした。もちろん死にたくないし解放はされたいが、景虎に迷惑をかけたくなかった。
そもそも組の代紋を背負っているような“織原の虎”という存在が、一度なし崩しに寝たくらいで、わざわざ自分のような弱っちい下っ端を、危険を冒して助けに来てくれるとは思えなかった。
もしかしたら……と、うっすら思ってしまう。けれど、期待して応えてもらえない方が辛い。助けを求めて断られることのほうがずっと辛い。
たとえこのまま腹を刺されて裂かれても、景虎は来てくれなかったと最期に恨んで死にたくはない。いや、実は全く死にたくない。
「だ、誰が呼ぶか……ぐゥっ!」
拒否は最後まで聞き届けられず、頬を拳骨で殴られた。弱い力でいたぶるように何度か小突かれて、頬の内側の肉が歯に擦れて裂け、血の味が口に広がる。
「選べる立場か? お前」
「ッ……あんま殴ったら腫れてもーて、顔認証が反応せえへんようなるやんけ……」
思い切り強がって、笑みの形に歪めた口角が震えた。括られて血の巡りが悪くなった指先が冷たく痺れていた。
「いいからさっさとしろ」
「カゲは来ぇへん……下っ端の俺にそんな価値ないわ。残念やったな」
この期に及んで虚勢を張ってほくそ笑む庄助に腹を立てたのか、茶髪はナイフの柄を持つ手で思い切りこめかみの部分を殴ると、
「じゃあもういいわ、犯したあと殺す」
と冷たく言い放った。
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