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8.殺人と寿司⑤

「なぁ……っ!?」  数センチズレていたらその刃に当たっていたであろうピアスの男は、腰を抜かして床に尻餅をついた。飛び出してきたそれは一瞬引っ込むと、今度は縦に、ちょうどカギのデッドボルトの部分を切り裂くように、ドアの隙間を高速回転をしながら侵入してきた。  鉄が焼き切れる時に出るアセチレンの火花が、ぱちぱちとドアの間からまばゆいほどに吹きこぼれた。ガゴンと重量のあるものがそこそこの高さから落ちたような音を最後に、轟音はぴたりと止んだ。  何が起こったかわからず、庄助も男たちも啞然とする中、ゆっくりとドアが外側に開く。 「か……っげ……」  スラリと伸びた背の上に、左頬に疵のある綺麗な顔が乗っている。庄助がかすれた声で呼ぶと、景虎は目線を部屋の中に向けた。手に持っていたチェーンソーのような何かを、ゴトリと地面に置いた。 「エンジンカッター……? 嘘だろ」  それは、工事や人命救助の際に建物のドアを切ったりコンクリートを切ったりするような、大仰な切断用の工具だった。そんなものをわざわざ、手下を助けるために持って来るなんて頭がおかしいとしか思えない。茶髪は「狂ってんな」と小さく呟いた。 「お前ら、俺のものに手を出したな」  静かな、しかし確実に怒りを含んだ低い声が響く。 「全員、シャコの糞になるぞお前ら」  言うが早いか、尻餅をついているピアスの男の顔面に、景虎の靴のつま先がめり込んだ。ぱこっと思いの外間抜けな音がしたが、ピアスが空いた鼻の下、人中に命中した打撃は、上顎の骨ごと前歯をへし折った。  ピアスの男はゴボゴボと泡立つような音を顔面からさせて、それきりうずくまってしまった。 「おいっ! 来るな、このガキが……」  どうなってもいいのかと言い終わるまでに、タイトめなスラックスを纏った筋肉質な長い脚が二歩、三歩と伸びる。庄助を押さえつけていた茶髪は、とっさに顔面をガードした腕ごと回し蹴りを食らって吹っ飛んだ。  茶髪は上手く転がり体勢を立て直すと、ナイフを握った手を突き出して吠えた。 「遠藤ッ! 殺してやる!」  そう言われて、景虎は鼻白んだ。 「どうして殺す前に宣言するんだ?」 「なに……?」 「寿司を食う前に、寿司に向かって食ってやる、とは言わないだろう。黙ってやればいいのにといつも思う」  食前に食べ物に向かって言う「いただきます」がそれに該当する言葉なのではないのだろうか、と庄助はへたばったままぼんやりと思った。 「そうやって宣言して、自らを奮い立たせないと人も殺せない。寿司も食えない。だからお前らは三下なんだ」  景虎は距離を詰める。茶髪は躙るように下がったが、すぐにコンクリートの壁に背中がぶち当たった。いや、寿司は食うやろ。庄助は心の内でツッコミを入れた。  以前の時も庄助は不思議に思ったが、景虎はこういう時あまりにも淡々としている。まるで日常の一部に暴力があって当然だというふうに、慣れた調子で殴ったり殴られたり、たとえ自分が無手で向こうが得物を持っていようが動じていない様子だった。 「カゲっ!」  肥った男が景虎の背後で、パイプ椅子を振りかぶっているのが見えて、庄助は裏返った声を上げた。どうにか立ち上がろうともがく膝が笑う。  しかし男のがら空きの胴体は、振り返って後ろ手に胸ぐらを掴まれただけで簡単に軸を失った。景虎は肥った男を体重差を利用して背負い投げた。無理矢理引っ張られた男の肩からはぶちぶちと、筋の千切れる音がした。 「わからん……どうして人を殺したいのにちゃんとした道具を持ってこないのか、理解に苦しむ」  心底不思議そうに呟きながら、景虎は肥った男を慣れた手つきで伸してしまうと、今度は茶髪に詰め寄った。腰が引けながら繰り出したナイフは、景虎の前腕をほんの少しだけ斜ってそのまま、捻り上げられあっけなく地に落ちた。 「何回ヤったんだ?」 「なんの……話だよっ!」 「とぼけるな」  顔面にジャブが炸裂する。よろけた反対側にもう一発。アクション映画のような小気味よい打撃音はなく、鈍く不気味な湿った音がグチャグチャと鳴る。 「俺の庄助をヤっただろう」 「おっ、ぼ……まッ゙、なにも」 「他の奴に手を出されるくらいなら、我慢しないで俺が毎日、何発もやってればよかった」 「べぼっび、ぼ」  景虎が悲しみと怒りの表情で拳を打ち据えるたびに、茶髪の唇が何か別物のように腫れて、血をまぶしたえびせんみたいに膨れ上がってくる。ふらついて倒れたところにマウントを取ろうとした景虎を見て、あまりのことに呆気にとられていた庄助はやっとのことで駆け寄った。足が震えている。 「か、カゲ! 待て、そいつ、死ぬって! それはまずいし、俺……俺なにもされてない!」 「庄助……でも、裸だ」 「まだパンツ履いてるやろ! 殴られただけや。お前がきてくれたから! 未遂や! ギリセーフ!」  庄助が下着のずれた腰を突き出して見せつけると、景虎はようやく殴る手を止め、茶髪の男を放りだした。ぐでんと無抵抗のまま、男はうつ伏せに地に伏せた。ビニールシートを貼り付けている床が埃を舞い上げる。裸で寒いのと埃を吸い込んだことで、庄助はくしゃみをひとつした。  景虎は庄助を抱き寄せると、濡れてアルコールの匂いを放つ髪に頬を擦り付けて、良かったとちいさく呟いた。庄助も景虎の肩に頭を預けて、鼻をすすった。触れた素肌に、景虎のシャツ越しの鼓動を感じる。血が通っていなさそうな蒼白い肌の下に、しっかりとしたぬくもりがある。  恐怖と興奮で震える指先を、固く握り込んで深呼吸した。その息すらも不安定に震えている。景虎は、庄助をきつく抱きしめた。 「……好きだ、庄助」 「何で今言うたんや、意味がわからん……」  ドアを切った時に出たらしい、粉塵が付着したままのドレスシャツは、近くでよく見るとわかめに絡まって遊ぶラッコの総柄だ。庄助はそれを見てヘナヘナと脱力してしまった。

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