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【番外編】アルカロイド・センチメンタル・ブルース③

 国枝は景虎の凄んだような声に一切引かず、それどころかへらへらと笑って、庄助の頬を指で意味ありげになぞった。庄助はよほど頭のてっぺんからサーッと血の気が引いたが、声にはならなかった。 「悪い虫に、首のところ噛まれてたからね。俺が優しくしてやってたんだよ。な? 庄助」 「ぴぃえぇ……」 「……人がマーキングしてるのに、わざわざ上から小便かけるようなマネしないで下さい」 「へえ! 景虎も言うようになったじゃん、マーキング? 面白いなァ、虫から犬に格上げだね?」 「ちょ、ちょっ国枝さんっ! 待ってカゲ、ちゃうねんこれは」  そもそもお前が、と言いかけて景虎の鬼気迫る眼力に怯んだ。庄助の頭から足の先まで睨め付けるように見てから、絞り出すように景虎は言った。 「後で話がある」  先に車に乗ってる、景虎はそう言い捨てて、ビニール袋をそこらのデスクに雑に置くと、今しがた入ってきたばかりの事務所を出ていった。 「あーあ、気が短いんだからほんとに」 「おぁ……」  お前が煽ったんちゃうんかいオッサン、そう言いかけたがさすがに飲み込んだ。これでは景虎に車の中で何を言われるか、何をされるかわかったものではない、はやく誤解を解かないと……と、庄助は少し泣きそうになった。 「景虎は変わったよ。少し前まではもっと、なんだろ、ブリキの木こりみたいなやつだったのに」  景虎の背中が見えなくなってしまうと、国枝は独り言のようにぽつりと言った。聞き慣れない言葉に、庄助はぱちぱちと大きなまばたきを2回した。 「ブリキのき……なんですか?」 「え、知らない? オズの魔法使い」 「平成生まれなんで……」 「年代関係なくない? いや、若い子は知らないのかな、自信なくなってきた……」 「あの俺、ちょっと行ってきます! ブリキの魔法使いってやつ、またググっときます!」  庄助はそう言うと、放置されたコンビニの袋を掴んだ。中には庄助の好きなパンや甘いお菓子がたくさん入っている。  右半分の首筋のキスマーク、よれたファンデーションもそのままに、庄助は景虎を追いかけて事務所を慌ただしく出ていった。  国枝はノートパソコンをパタンと閉じると、習慣のように胸ポケットに触れてタバコが切れていたことに気づいた。後で喫煙所に行くついでにコンビニ寄ればいいか、国枝はそう思って庄助の座っていたスツールを元の位置に戻そうと掴んだ。ぱたぱたと階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。 「国枝さんっ、すんません失礼します!」  締まったはずの事務所の扉がもう一度開いてドアベルがけたたましく鳴る。庄助だった。急いで戻ってきたのか、息切れしている。 「これ……カゲが。袋に入ってましたんで、渡しときます」  と、タバコのパッケージを取り出す。国枝は少し驚いた。景虎にタバコのお使いを頼んだことはあるが、自主的に買ってきてくれることは初めてだった。銘柄やタールの量も相違ない。 「え~気がきくじゃん、助かる。ありがとって言っておいて」 「はい」 「一緒に降りようか、俺もタバコ吸いたいし」 「はいっ!」  特別なことはなにもないのに、ことさら嬉しそうにしている庄助は、まるで散歩に連れて行ってもらう時の犬みたいだ。実家の隣の家の柴犬が誰にでも尻尾振ってお腹見せるバカだったから、何度か空き巣に入られてたなあ、と国枝はなんとなく、遠く離れた故郷の隣家の柴犬のことを思い出した。今度は二人してエレベーターを使って降りる。  事務所前の道に、駐車場から乗り付けたであろうハイゼットカーゴが停車してある。その運転席に景虎が待っているのが見えたので、国枝はすかさず庄助の腰に手を回した。引き寄せて、足を絡めるように身体をくっつける。 「んわっ!?」 「……ふふ。気をつけて行っといで、『続き』はまた今度」  運転席の窓が開いているのを確認してから聞こえるようにそう言い、庄助のジーンズの尻をぽんぽんと叩いた。顔を寄せて耳の穴に優しい声音で吹き込む。 「組の作業車でサカったら殺すからね」 「あ、あい……」  震えながら顔を上げた先には、鬼のような表情でハンドルを握る景虎がいた。まさに前門の虎、後門の狼だ。  庄助がぎこちない足取りで助手席に乗り込んだのを確認すると、国枝は事務所の入ったビルの裏手に回った。申し訳程度の軒下に、赤い備え付けの灰皿がある。事務所のものもタバコを吸うのが一人減り二人減り、寂しいもので今では国枝とあと二人程度になってしまった。  景虎が買ってきてくれたタバコを取り出して、国枝はほくそ笑んだ。 「ソフトじゃなくてボックスなんだよね」  誰にともなしに言う。人に興味のまるでなさそうだった景虎が初めて買ってきてくれた、ソフトパッケージのタバコ。銘柄は合っているがこっちじゃない。  吸わない者にはわからないだろうが風味が違うし、ソフトはいつの間にか葉がポロポロ漏れてポケットの中が汚くなる。そうはっきりと理由まで言わないと、景虎はずっと間違え続けそうだった。  小さい頃からずっと見てきたはずなのに、庄助の存在によって心臓を与えられた景虎は生まれ変わったようで、なんだか危なっかしささえある。あんなに図体がでかいくせに。  二人とも若くて青春しててムカつくし、あいつらが気づくまで黙っていよう、と国枝は思った。  尻のポケットにタバコをしまうと、本日二度目のコンビニへ足を運んだ。

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