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10.きつねのよめいり/ごいっしょねがいます③
「ちょっ、違うって。……もぉ、お前な」
釣り竿を取り落としそうになる。片手で景虎の広い背中を、ぽんぽんとなだめるように撫でた。
「……なぁ、俺さ。好きとか、よくわからん。でも、カゲと暮らすのは楽しい。お前が変な奴すぎて、飽きへん」
精一杯絞り出した優しい声だった。何せ庄助は、真面目くさったことを言うのが死ぬほど苦手で、こういったシチュエーションはすごく恥ずかしい。またしても耳まで真っ赤になってしまう。
「っていう返事じゃあかんかよ……」
「あかんくない」
景虎は庄助の首に顔を埋めたまま、ありがとうと言った。今までの人生において、何かがこみ上げてくるというのがあまりなかったから、一度決壊したら止まらなくなりそうだった。愛おしくて、可愛くてたまらない。
「おい、誰もおらんからってあんまくっつくな、人に見られたら……」
「わかった、釣りをやめて近くのホテルに行こう」
「せやから正直すぎるやろ……あ、ほら誰か来たって! 離れろ……!」
少し向こうから、車の音がする。庄助はぐいぐいと、へばりつく景虎を引き剥がした。
二つ向こう側の道から、黒のラングラーが埠頭に入ってくるのが見えた。景虎が立ち上がったので、庄助もそれにならった。
二人の近くに停車した車のドアが開いて、スモークフィルムを貼った運転席から人が降りてくる。
「あれっ? 二人とも朝釣り? おはよー」
国枝だった。ツナギに作業靴といった出で立ちだが、こんな朝から仕事だろうか。まさか上司に会うとは思っておらず、庄助は腰を抜かしそうになった。もうちょっとでカゲとくっついてるところを見られるところやった、危ないところやった。心臓がバクバクしているのを悟られないように、深々とお辞儀をした。
「クニッ、く、国枝さん、おはようございます……! 良いお天気で……」
「あれ? 俺景虎に言っておいたのに。昨日は向こうの道でバンカケやってたから、今日ラスイチ流しにいくって」
「そうでしたっけ、忘れてました」
後部座席からも二人、いかつい男たちが出てきた。庄助の知らない人たちだった。無言でカーゴルームを開けると、人間が一人入っているのかというほどの大きな麻の袋を二人がかりで担ぎ上げて、近くの倉庫の中に入ってゆく。
巾着状に締められた袋の口から、茶色い髪が見えた気がした。
「待って下さいよ!? 何っ!? なにあれ!?」
庄助は慌てて詰め寄った。国枝はキョトンとした顔をしたあと、少し気まずそうに、
「あっ、えっとぉ……大丈夫。ちょっと取れちゃったとこもあるけど、まだ全然死んでないよ」
と微笑んだ。
「取れちゃったって何!? めっちゃ怖い!」
喧嘩はたしなむが、グロいのは苦手な庄助は震え上がった。
「この前二人が"活躍"してくれたからさ。これを足がかりに、川濱組をちょっとは黙らせることができそうかも。いや~、お手柄バディだね」
国枝は二人の間に割って入ると、肩を組んだ。香水とタバコの混じった、大人の男の匂いがする。
「キリがいいとこまで片付いたら、寿司でも行こうぜ。庄助は、シャコ食えるか? ……なんてな」
そう言うなり二人の肩をぽんと叩いて、胸元からタバコを出すと、火もつけずに咥えて倉庫の方へ歩いてゆく。途中でこちらを振り向いて手を上げたので、景虎は頭を下げた。お前も下げろと後ろ頭を押されたので、庄助も仕方なくそれに倣う。
庄助を襲った奴らは、国枝にあることないことウタわせられる。景虎から聞いていたし、そういうこともあるだろうと思っていたが、なんというか。思いの外苛烈なようで、庄助は溜飲が下がるどころか恐ろしさに脂汗が背中を流れた。
ふとすごく嫌な予感がして、横目でバケツで跳ねる小魚を見つめる。ここらの海は餌が豊富だと言った、景虎の台詞を思い出した。冗談にしても、今しがたそこで釣れたシロギスすら、普段何を食べているのか怪しくなってきた。
国枝が倉庫に姿を消すと、潮にさらされたっぷりと赤錆の浮いた鉄扉が、重々しい音を立てて閉められた。
「良かったな、庄助」
「な、何が良かってん……!」
「俺はお前を危険な目に合わせたくはないから、心境としては複雑だが……国枝さんに評価されるってのはヤクザとして前進したってことだからな」
「おおぉ……?」
景虎はもう一度、庄助を抱きしめる。今度は抵抗しなかった。
今しがた国枝たちが入っていった倉庫から、何かを引きずる音、硬いものがぶつかる音がしたり、終いには焼肉のような匂いが漂ってきて、庄助はぷるぷるとまるで動物病院で検査を待つ子犬のように震えた。
「……たいぃ」
「俺は、行き着く先が地獄でもお前と一緒にいたい。なあ、庄助、俺の……ん? どうした?」
「ヤクザこわすぎ! 大阪に帰りたい~~っ!」
庄助の悪魔のような叫び声が、静かな朝の埠頭にいつまでも響いた。
地獄への道ゆきは、あまりにも長く遠い。
《第一幕:終》
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