84 / 170

第二幕 1.ハッピーさんとワナビーくん⑨

「もっ……もうあかーん!」  庄助は、正気に戻って景虎の頬を両手でばちんと挟んだ。危ないところだ。こんな公共の場で、流されてしまうところだった。 「む……なんでダメなんだ」 「あかんに決まってるやろ! 本気で怒るぞ、おさわり禁止や!」  強めに言うと、胸を両手でがっちりとガードした。  景虎によって立派な性感帯として開発されつつある乳首は、気のせいか近頃、ほんの少し大きくなってきている気がする。これから本格的な夏を薄着で過ごすのが不安になるから、本当にやめてほしかった。 「このまま、ここで抱いてもいいと思ってるのに……」  本心から嫌がっている庄助の口ぶりに、景虎はしょんぼりしながら、身体を名残惜しそうに離した。 「ええわけないやろが! 公然わいせつ罪で捕まりたないわ」 「……まあいい。続きは帰ってからだな」 「せえへんっちゅーねん!」  顔がまだ熱い。こんなことを言いながら、二人きりになったら許してしまいそうで、庄助は自分がいやになった。  チューは年に一回だとか、その先は今日は駄目だとか、肉体関係を持ち始めて最初の頃こそ、庄助はルールを決めようと頑張ってはいた。が、結局は面倒くさくて、なあなあになってしまった。  過剰にルールを決めるとしんどくなるのはズボラな自分やし、まあええか。イヤやったらイヤって言うし。  それは、景虎に求められることをどこか心地良いと思ってしまっている、庄助の姑息な言い訳だった。  じわじわと酔いが醒めてくると、静かに座っているのが暑くなってきた。庄助は、汗ばむ身体に鞭を打つように、背広をはおり直した。 「……あのよ、俺はな。何も考えなしに、ヤクザになりたいって言うてるわけやないねんで。それだけはわかっといてや」 「考えがあるのか?」 「うん。俺がヤクザの頂点になったら、オレオレ詐欺とかそういうダサくて卑怯なシノギを禁止にしたい! ヤクザを、昔ながらのかっこええ義理人情の集団に戻すねん。ええと思わん?」  あまりにも無邪気に未来への展望を語る庄助を見て、景虎はぺちんと頭を張ってやりたくなったが、ぐっと我慢した。 「なるほど。立派な志だ。さすが庄助は極道を愛する男なだけあるな」 「せやろ? せやからカゲも……」 「だったら庄助が警察になって悪人を捕まえるか、政治家になってルール自体を変えたほうがいいだろうな」 「うぐ……!?」  カゲのくせに正論言うな。そう言い返したかったが、言葉がすぐには見当たらず、庄助は押し黙ってしまった。 「……俺は、この仕事も悪いことばかりじゃないって初めて思った。お前に会えたから」  景虎のその言葉に、庄助は想像する。  彼の隣に立つ、立派なヤクザになった自分を。  肉体的にも精神的にもタフになって、あの国枝や矢野でさえも、庄助に一目を置いている。  なにより、強くて美しい獣みたいな景虎が、信頼して背中を預けてくれるような。そんな理想の自分になりたいと、庄助は思う。  けれど、同時に矢野に言われたことが引っかかっている。  本当に自分は、単純な憧れだけでヤクザになりたいのだろうか。 「俺は、お前が思ってるほどええ奴ちゃうぞ……多分」  庄助はそう言うと立ち上がった。  風が吹いて、雲が散った。雨が降りそうだ。  強い風に乗った雨雲が、急くようにまた月に薄い膜をかけた。

ともだちにシェアしよう!