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第二幕 2.インチキおじさん、登場④

「庄助くん、あ~んして?」 「あ、ずるい。私もしたいのに~!」  夜を飛ぶ蝶たちが、一人の青年の周りで妖艶に微笑み合う。  チョコのついたプレッツェルが、ツンと唇に押し当てられる。ビタミンカラーのネイルの先端に、ぽってりと盛られた樹脂の白い花が映える。  天国に咲く花があるとするなら、きっとこんな花だろう。庄助は思った。  向田に連れてきてもらったキャバクラ『オルレアン』は、いわゆる中堅程度の店で、安さで勝負の大衆店よりも少し値段は張るが、女の子や黒服の質が良いらしい。夜の店に通い慣れていない庄助には、違いが全くわからなかった。 「やんっ! 庄助くん指まで食べるの禁止だからね、もう!」 「えへへ~」  この世の春、と顔に書いて貼り付けているかのような、蕩けきった馬鹿面で庄助はへらへらと笑った。座って、女性に食べ物を口に運んでもらう。昼間と同じようなシチュエーションだが、やはり庄助は若い男なので、こちらのほうが断然嬉しかった。  白いツイードのミニワンピースの若い女は、庄助に合わせて笑いながら、隣席の向田の空いたグラスにロックアイスを入れる。向田は、彼女の肩に手を乗せて耳打ちした。 「俺達ちょっと話があるから。席、代わってもらっていいか? 二人とも飲みたいものあったら飲んでいいからよ」 「ほんとに? ありがとうございます」  白いワンピースの女は、立ち上がると庄助に席を譲った。そのあと、ボーイを呼び付け何事かを耳打ちして、伝票に記入させている。  立ち上がったときに、彼女のくすんだベージュ色の髪からとんでもなくいい匂いがして、庄助の心臓はドキドキした。  普段仕事でもプライベートでも、同年代の女の子と触れ合う機会があまりない。介護施設の老人たちは置いておくにしても、夜の店の営業や備品を持っていくのは大抵開店前なので、どうしても年配の男性オーナーやママさんを相手にすることが多い。  久々に近距離で見る、美人な女の子の胸や尻や脚に目が吸い寄せられる。  やはり自分は女が好きなんだ、景虎とやっていることはあくまでイレギュラーなんだと庄助は確信した。 「なあ、庄助。俺が教えてやってもいいぜ」  店内BGMがやかましいのか、向田は庄助の耳元で、囁くように問いかけた。 「え……何をですか?」 「ヤクザの世界だよ。酸いも甘いも苦いも、知っておかなきゃ噛み分けもできないだろ? なあ、俺の仕事ちょっと手伝ってみねえか? ちゃんと手当は出すぜ」  その言葉はまさに僥倖、渡りに船だった。向田が何の仕事をしているのか、庄助は詳しくは知らなかったが、今はとにかく経験を積みたかった。  しかし、あの妙に嫉妬深くて、庄助が危ない橋を渡ろうとすると全力で止めに来る景虎がなんと言うだろうか。 「でも……」  庄助の持つ、ロリポップの刺さったウイスキーの水割りが、戸惑うようにカラカラと鳴った。 「遠藤には俺から言っておいてやるよ」  見透かすように言って、そっと肩に触れてくる。向田は、やたらボディタッチの多い男だ。普通の企業なら、とっくにセクハラと言われているところだろう。 「お前がどんなふうに、あいつに言い含められてるのか知らねえが……」  シャツの襟の隙間を、蛇のように入り込んだ指が撫でる。 「猫っ可愛がりしてるだけじゃあ駄目だと俺は思うぜ。兄貴なら、一人の男として、食ってけるようにしてやらにゃあ」 「一人前の、おとこ……」 「矢野さんと盃、交わしたいんだろ? だったら俺がシノギってやつを教えてやるよ」  シャツの中に入ってきた手で、向田が肩を揉んでくる。硬い男の指先を素肌に感じて、庄助はその顔をそっと見た。  向田の加齢でもたついた輪郭線も、苦労を重ねて苦み走った渋さに見えてきたのは、酔いのせいだろうか。  先ほどと違う嬢がやってきて、それぞれ庄助と向田の隣にくっついて座った。なんのお話してたんですかあ? と、首を傾げて問いかけてくる。腕や腿に触れる女の子の柔らかい肌と細い骨に、庄助は気もそぞろになり、曖昧に相槌を打った。  向田は、庄助の肩から手を離すと、ボーイを呼びつけて新しくシャンパンをおろした。  庄助の耳と頬のあたりに、向田の酒とニコチンの混ざった呼気が漂う。 「同盟を組もう、庄助。俺らは今から戦友だ」  向田の奥歯のいくつかが、鈍く金色に光るのが見えた。

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