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第二幕 4.よいこにヤクザは難しい①
若い男が土下座をしている。
床に頭を擦りつけて許しを乞うている。
「すみません、すみません……!」
まだ掃除をされていない開店前のホストクラブの床は、当然のように前日の汚れを残している。
テーブルから垂れて固まったシャンパンの粘ついた糖分、スナック類のカス、男女どちらのものかわからない長い髪の毛の絡まった綿埃、往来を行き来した靴から溢れた泥や煤や吐瀉物。
それらを綯い交ぜに塗りたくって伸ばした地面に、男は額を、頬を押し付ける。ホストらしくキレイな、女のように細面の顔を、悲痛に歪めて。
「よぉ、そんな怖がらんでくれや」
ボックス席に腰掛けた向田は、顔に似合わない猫撫で声でホストの男に声をかけた。
「いいんだよ俺は別に。回収できないなら、お前の給料から天引きするだけだからよ」
「すみません、すみません……回収します、絶対に……っ」
ホストの男は、額を床にめり込ませるようにして謝っている。
ホストクラブ『ミリオンスターズ』は、向田がオーナーをやっている中規模の店だ。
土下座のホストは、客の風俗嬢の飲み代を、こっそりと売り掛けの形で立て替えていたが、その嬢に逃げられてしまったらしい。女は勤務していたデリバリーヘルスの店長にも、なんの連絡もなく出勤しなくなり、この辺り一体から消えてしまった。
「だったらさあ、代わりになりそうなの、いる?」
「か、看護師の子なら、ひとり……」
「若い? 可愛い?」
「……や、アラサーの……どっちかって言うとぽちゃ系す」
チッ、と向田は舌打ちすると、伏せているホストの脇腹を蹴り上げた。
「げぉ……っ」
「人妻系の店紹介してやるよ。鬼出勤と、あとは死ぬほどオプつけさせて回収しろ」
「はひ……」
涎を垂らしながらも、律儀に返事をするホストの、項垂れた横顔。それを見ている庄助の顔は、辛そうに曇っていた。
店を出て、庄助の運転してきた作業車に乗り込むと、向田は窓も開けずに加熱式タバコをふかし始めた。組の車は全部禁煙なので、国枝に怒られると伝えたが、お構いなしだった。
「あの、さっきの……大丈夫なんですか? 別の、関係ない女の人に、金を肩代わりさせるってことですよね……?」
次の目的地の住所を、スマホアプリに入力しながら庄助は尋ねた。
「そうだよ」
悪びれもせず、しれっと返事をした向田を横目に、庄助は車をゆっくりと駐車場から発進させた。
「俺は優しい方だと思うぜ、庄助。本来なら回収できない金を、払えるように段取りつけて仕事まで紹介してやって。自分が飲んだ分でもねえのに、律儀だと思わねえか?」
「そう、ですよね……」
日が長くなってきて、エンジンをかけたての車内は蒸し暑かった。時刻は18時25分。庄助は首にじっとりとかいた汗を、手の甲で拭った。杉並区にあるマンションが次の目的地だという。
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