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第二幕 7.ラッコですら石に執着するのに④
「ちょッ……なん、なにっ」
「休みだから、お前と一日一緒にいられると思ってた」
「そ、れは……っ俺かて、別に行きたないけど、しゃーないやんけ……あっ」
景虎が強引に唇を奪おうとすると、顔を背けてもがいた。力で適うわけないのに、いつも無駄な抵抗をする。
「庄助、好きなんだ……傍にいてくれ」
特別甘い言葉と声を耳に吹き込むと、庄助の動きがぴたりと止まる。赤い耳と頬、その周りの首筋の皮膚に鳥肌が立っている。身体をくっつけると、仔ネズミのそれのようにとくとくと速くなった、庄助の鼓動を感じた。
顎をすくって、自分の方を向かせる。恥ずかしそうに伏せられた睫毛が、やたら情欲をそそる。
「あかん……」
庄助の小さく開いた口の中から、さっき食べていたフルーツヨーグルトの、桃のような匂いがした。なんだかまるで小動物のようで、その匂いごと奪いたくなってしまう。
「なあ……もう十分納得しただろ? ヤクザの仕事なんてろくでもない。嫌なものは見ないでいいんだ。向田には俺が断ってやるし、わざわざお前が汚い仕事なんてしなくても、不自由しないようにするから」
だから。
景虎は庄助の肩を押さえ付けると、肉食動物が牙を剥くように、柔らかな唇に食らいついた。はずだった。
「アホかーっ!」
庄助の頭突きが、景虎の顎の骨に命中した。ごちん、と、硬いものと硬いものがぶつかった鈍い音がして、さしもの景虎も痛みと衝撃にたじろいだ。
「く……!?」
「お前なあっ、カゲ! 黙って聞いとったらほんっま……! 俺は赤ちゃんやないんやぞ!」
庄助は腕の中から逃げていった。玄関の方まで後ずさって距離を取ると、ぶつけた額を押さえて、景虎に向かって声を荒げた。
「あか……」
赤ちゃんだろうが。と景虎は言い返そうとしたが、頭がクラクラした。脳が揺れている。不意打ちとはいえ、庄助如きにしてやられたことが驚きだった。
「そうやってチューとかしてたら、そのうち俺がヘニャヘニャになって言うこと聞くと思ってるやろ!」
バレている。馬鹿のくせに。景虎は舌打ちした。
「俺は大人の男なんやからな! 自分で考えて、自分でできる! ろくでもない仕事やろうがなんやろうが、お前みたいに誤魔化されるよりマシや……と、とにかく……!」
景虎が復活しないうちにと、庄助はスニーカーを引っ掛けると、後ろ手に玄関のドアノブを握った。
「絶対ついてくんなよ、ついてきたら……」
嫌いになるからな。
そう言うと玄関に置いている、アリマにもらったキーホルダーつきの家の鍵を引っ掴み、庄助は出ていった。ガンガンと乱暴に、アパートの階段を下りていく音が聞こえ、遠ざかっていく。
庄助のそれはまさに、赤ちゃんというか幼児レベルの脅しだったが、景虎には効果てきめんだった。
「嫌いになる……嫌いになる……?」
心と口の中で、それを何度も反芻した。
嫌いになる。なんて恐ろしい響きなんだろうか。景虎の背筋に怖気が走った。
もし出ていってしまった場合、当たり前のように後をつけようと思っていたのに、嫌いになられては困る。
好きだから心配で見張りたいのに、それをすると嫌われるという。こんな理不尽があってたまるだろうか。
景虎は、思春期の娘に蛇蝎のごとく嫌われた父親のような、悲痛な面持ちでキッチンの床にがっくりと膝をついた。
シンクに置かれたマグカップの中で、手つかずの真っ黒いコーヒーがぬるくなっていた。
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