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第二幕 13.淀みに浮かぶうたかたは①
「お陰様で、助かりました。これはほんの気持ちです」
景虎は深く頭を下げると、濃い紫色をしたちりめんの袱紗 の中から、厚みのある封筒を差し出した。
「え……なに? これ」
彼女は戸惑ったような顔をした。
『がるがんちゅあ』の談話室、薄い緑のチェックのカーテンがエアコンの風で揺れている。
部屋の温度自体はそんなに下がっておらず、送風が生温い。
窓の外からは夏の午前の熱気が、じわじわとその手を長く伸ばしてきている。
暑さこそもう十分に夏本番だが、まだセミは鳴いていない。
「ほんの気持ちです。アリマさんに作っていただいたアレのおかげで、“事故”を未然に防ぐことができたので」
景虎は、さらに頭を下げた。リノリウムの床と、自分の靴の先が目に入る。談話室のテレビから流れる天気予報によると、午後には雷を伴った雨が降るという。
こんなに晴れているのに、夏の天気は気まぐれなものだ。
「受け取れないわよぉ、そんなの」
封筒を軽く押し返しながら、アリマは少女のようにクスクス笑うと、顔を上げて、と言った。
「いえしかし……そんな大した額ではないので……」
「感謝の気持ちをお金でどうこうしようとしないの。歳上の人間に向かって、失礼よ?」
そう言われた景虎はとうとう諦めて、封筒を引っ込めて顔を上げた。
軽く指先が触れたアリマの手は、小さく柔らかいが、節がごつごつした働き者の手だ。
景虎は年配の女性の手を、じっくりと見たことがなかった。こんなに弱そうな見た目なのに、重ねてきた年月なのだろうか。アリマの、どことなく風格のある手を、かっこいいなと思った。
「申し訳ありません」
金以外で感謝の気持ちを伝える方法を、景虎はあまり知らない。だが、失礼にあたるのだとしたら、何か別の方法を考えなくてはいけない。景虎は、上げた頭をまた深々と下げる。
アリマはふっとため息をつくと、景虎に500円玉を手渡した。そこで飲み物なんでもいいから2本買ってきてくれる? と、談話室の隅にある紙パックの自販機を指さした。
言われたとおりに景虎がオレンジジュースを2本買ってくると、アリマは彼に隣に座るように勧めた。
「お礼を言いたいのはあたしよ」
パックジュースにストローを挿しながら、アリマは言った。
「庄助ちゃんには恩があるし……どんな形でも、少しでもお役に立ててよかった。そして、教えてくれたあなたにも、お礼を言いたいわぁ。ありがとうね、遠藤さん」
老女が微笑むのを見て、景虎の胸にゆっくりと温かい血が巡った。
カタギのご老人に、怒鳴られたり恨まれたりしたことは数あれど、礼を言われるなどということは、今までの人生でなかったことかもしれない。
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