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【番外編】恋と爆薬

「花火って、こんな一瞬で終わったっけ」  勢いよく音を立てて噴いていたピンク色の炎が、突然スイッチを切ったようにふっと消えてしまうと、煙の向こうの庄助が呟いた。  はたして花火とは、もっと長い時間燃えているものだろうか?  記憶の中、母さんとちいさな公園でやった花火を思い出したがわからない。そもそも片手で数えて余るほどの思い出だ。比較できるものがあまりない。  俺が答えられずにいると、庄助は消えてしまった手持ち花火の先端を、紙コップに張った水の中に浸けた。じゅ、と火種の命が潰える小さな音がする。 「ちっさい時は、もっと長かった気がするねんな。はよ次のやつやりたいのに、なかなか終わってくれへんなって思ってた」  庄助は新しい花火を袋から出すと、百円ライターで火をつけた。  ざあざあと鳴る波の音は、雨の音に似ている。仕事帰りに、作業車で埠頭へ来た。庄助が花火をやりたがったからだ。  人のいない港には、倒産して夜逃げした会社の倉庫がいくつも並んでいる。めったに“外部の人間”が来ないこの場所なら、花火をしても誰にも咎められない。  いつもの埠頭へ行くと聞いて、庄助は随分嫌がったが、もうすっかり忘れて手持ち花火に興じている。  音を立てて吹き出すカラフルな炎を、地面に近づけたり遠ざけたりして遊んでいる。  庄助の発想にはいつも驚かされる。仕事が終わって家に帰ろうという段階で、じゃあこのあと花火をやろうなんて考えに、俺は至ったことがない。  夏らしいことがやりたい。その一心で、疲れた身体でディスカウントストアへ寄って花火セット、ライター、酒とつまみのスナック菓子を調達する。楽しいことには無尽蔵な庄助のエネルギーが、ただ新鮮だ。 「な? もう一袋終わってもーた」  隣へ座って、パイナップル味の缶チューハイに口をつける。飲み干してから、ぬるい、と文句をひとつ言うと、今度は別の花火の封を開けて、また立ち上がり火をつけた。相変わらず、少しもじっとしていられない性質のようだ。  庄助の夏服、赤いセットアップの上下が暗い海を背景に躍るのと同時に、塩気をはらんだ風が、睫毛に重くのしかかるように吹いてくる。数秒目を閉じて、また開いた。 「カゲ~!」  薄く開けた視界の中、庄助が笑いながら、こちらの足元に何かを投げてくる。まるで俺のブーツにじゃれるかのように、火花を飛ばして忙しなく回るそれに、俺は目を見開く。 「これも花火か?」 「おもんな、ちょっとはビビれや」  足元をちょこまかと走るそれは、自分の火花の尾をぐるぐると追いかけ、最後は乾いた音を立てて爆ぜた。 「ねずみ花火がいっちゃんおもろいよな」 「ねずみ花火っていうのか。可愛いな、庄助みたいだ」 「ドギショいことを言うな」  庄助は俺の肩を拳で軽く叩くと、着火した花火をいくつか足元へ(ほう)る。それらはヘビの威嚇のような音を立てながら、キラキラと回った。 「花火って、警察呼ばれた思い出しかないわ。俺らは花火とか爆竹やりたいだけやのに、近所迷惑とか言うてすぐ通報されんねんな~」 「爆竹を鳴らすからじゃないのか?」 「でも、ちゃんと人のおらんとこで鳴らしてるもん」  庄助は口を尖らせた。爆竹とは、通報されるリスクと天秤にかけてまで鳴らしたくなる楽しいものなのだろうか。足元のねずみ花火たちが、ぱんぱんと破裂音を立てて動かなくなった。 「銃の発砲音かもしれないと思って通報してるのかもな。どっちも火薬だから、似てるだろう」  ぬるくなったスポーツドリンクに口をつける。ペットボトルの口から喉に流れる甘ったるさは、ただの砂糖水のようだ。 「は? 裏社会マウント取んなハゲ」 「……別に取ってないが」  庄助の操る言葉はイントネーションだけでなく珍妙だが、最近なんとなく言っていることがわかるようになってきた。  庄助は俺の両手の指に手持ち花火をいくつも挟むと、全部一気に火をつけた。シューという音を立てて、稲穂のように垂れる火が次々と色を変えてゆく。二本の手から火花を噴出させて立ち尽くす俺を見て、 「あは、あははっ! シザーハンズや!」  と、庄助は一人でげらげら笑っている。  それも煙と光の残像を残してすぐに消えてしまった。花火の残骸を紙コップにまとめて刺す。そのシルエットは、まるでヤマアラシのようだ。 「確かに短いな、一瞬だった」 「やろ? 不景気やから火薬の量ケチってんのかな」 「庄助とやる花火だから、余計そう感じるのかもしれない。楽しい時間はすぐ終わるからな」  俺の言葉に、庄助の目は暗いところにいる猫の目のようにまんまるになった。 「せやから、ドギショいこと言うなよ……」  咎めるように零す頬は、ぶすっと下を向いてしまった。  静かに岸壁を打つ波の音に混じって、遠くの救急車のサイレンの音が聞こえる。花火の残骸を拾い上げる、汗で湿った庄助の金色の襟足から立つわずかな酒気と、指に残る火薬の匂い。  空はこんなに暗いのに、夢みたいに眩しい。 「つーか、カゲがそんな楽しいって言うんやったらよ、花火だけやなくて」  ヤスリを擦ると、百円ライターのフリントから、小さな火花が散る。オレンジ色の炎が、庄助の大きな瞳に映ってゆらぐ。 「付き合うたってもええで。他の遊びも」  照れくさそうにしゃがみこんで、庄助はまた、手持ち花火に火を点ける。そっぽを向くなだらかな輪郭の丸みを見ていると、愛しさが胸の中でいくつもぽんぽんと弾けた。  いつもはそんな素振りを見せないのに、たまにこうしてストレートに爆弾を投げ込んでくるから困る。  綻んで溶けそうになる自分の頬を、手で押さえた。 「ありがとう。俺も、庄助が好きだ」 「“も”ってなんやねん、“も”って! そんな話してへんやろが」 「ふふ……」  好いている相手と遊びに行く。  そんなことすら、俺のような極道しか知らない人間には到底思いつかない。  庄助は不思議だ。道を踏み外したいのか、真っ当に幸せになりたいのかわからない。多分、本人は何も考えておらず、その時その時の考えと理念に基づいて行動を決めているのだろうが。  振り回される。出会ったときからずっと、目が離せない。  向こうに見える鉄塔の、黄白色のヤード照明が夜の湿気で滲む。庄助はあくびをすると立ち上がり、俺にもたれかかった。花火はとうに消えてしまっていた。 「ねむい」 「もう花火はいいのか」  うん、と頷く。庄助は集中力がなく、すぐ飽きてしまう。子供がそのまま大きくなったみたいだ。  前髪をかき分けて、汗をかいた額に口づけた。嫌がらないのでそのまま身体を屈めて、耳に、頬に、唇に軽く。 「何か食いに行くか? 運転してる間、寝てたらいい」 「……ん」  足元の、花火や飲み物が入ったビニール袋が揺れて音を立てた。庄助が、俺の服の肩口に目蓋を擦り付ける。酒に弱い上に、空きっ腹にチューハイなんて飲むから、酔っ払ってしまったのかもしれない。 「もーちょい。風が気持ちええから」  頬に、蜂蜜色の髪がさわさわと触れる。日向にいた猫のようなあたたかい匂いに、酒と火薬の匂いが混じっている。  庄助の身体や髪に、外のあらゆるものの匂いがうつる。そういうどうしようもない事象すら、妬ましかった。  暗い海の果てから、波が打ち寄せて引いてゆく。別に夜なんて明けなくていいけれど、明るくならないと庄助と遊びにいけない。  休みの日にはどこに行くだとか、今日は何を食べるだとか。夏が終わってもずっと、それを考え続けられたらいいのに。それだけを考えられたらいいのに。  静かに目を閉じる庄助の顔を見ていると、怖くなる。あれだけ騒がしいのが少しの間口を閉じるだけで、この世界から消えてしまいそうな気がしてしまう。  自分でもおかしいと思う。  恐ろしいほど恋に狂っているのだ、俺は。

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