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【番外編】スピカの後味①

 目の前で命が消えてゆく。  なにもできず、目を見開いて成り行きを見守るしかなかった。 「あぁ……ごめん、ごめんな……」  庄助は謝った。もう遅いとわかっていてなお、罪の意識から逃れるためだけに謝った。  籠の中に閉じ込められた命は、キューキューと小さな鳴き声を発しながら蠢いている。  怒りのように、悲しみのように、あるいは呪いのように。  熱で爆ぜ溶ける脚で、熱い地面を懸命に掻く。灼熱の暗闇の中で、彼は自分の人生を振り返るのだ。何か悪いことをしただろうかと。こんな最期を迎えるに値するほどの、悪いことをしただろうかと。  ゆっくりと籠が開き、彼の光のない黒い目が庄助を捉える。庄助は唇をおさえて、今にも泣きそうな目で変わり果てた(しかばね)を見つめた。 「こちら、ハーブ塩につけてお召し上がりください。お熱いので、お気をつけて」  大きな伊勢海老が目の前に置かれる。今さきほどまで、せいろの中で狂ったように藻掻いていたばかりの彼は、真っ赤に茹だった身体を晒してくたばっていた。 「か、かわいそうすぎる……!」  伊勢海老の姿蒸し。その調理法のあまりの惨さに、庄助はドン引いてしまっていた。  中年のシェフの女性は、カウンターの向こうで水槽から出したばかりの大きな海老を一度こちらに見せると、躊躇いもなく鉄板の上で熱されたせいろの中に閉じ込めた。  飛び出しそうに暴れる海老を蓋で押さえつけると彼女は、「すぐに動かなくなりますから」と微笑んだのだ。蓋に挟まれた伊勢海老のヒゲの先端が痙攣のようにビクビクとのたうつのを、息を呑んで見ているしかなかった。 「食わないのか?」  隣の景虎は、自分の分の海老に箸を伸ばした。身を取り出しやすいように、背の部分に包丁が入っている。 「いや、食うけどよ……」  なにもここで殺すところ見せんでも。と庄助は呟き、景虎と同じように、茹で上がった身を箸でつまみ上げた。  ほかほかと湯気を立てる白い肉は、見ただけで弾力があるのがわかる。塩を少しつけて口に入れると、甘みと海の匂いに混じって、爽やかなハーブの香りが鼻を通り抜けた。  ほんのりと感じる、清涼感のある苦みは乾燥したレモンピールだろうか。跳ね返してくる程弾力のある身をぎゅっと噛み潰す。三つ編みがほどけるように筋繊維がぷちぷちと口の中で弾けて、そこから甘みのある汁が溢れてくる。  庄助の人生において伊勢海老などというものは、あまり食べる機会がなかったものだが、理解(わか)る。舌に直接理解(わか)らされる。めっちゃええ食材だということが。 「ぐわ……うまぁ……っ」  美味すぎて震えた。嫌味のように洒落た皿の上、残酷に焼き殺されて引き攣った体を丸め、鎮座する伊勢海老の死体、その割れた背中を見た。  蒸し殺されるって、めっちゃ嫌な死に方やな~。つーか、こんだけしか身ィないの? うそやろ。あと二リットルくらい食いたい。  三ツ星ホテルの料理は美味しくてお上品で残酷で、庄助の心を千々に乱した。  背伸びしたスマートカジュアルのジャケットに、アップにした前髪。いつになく大人っぽい庄助が、いつも通りの子供っぽい表情をくるくると変えるのを見て、景虎は口元を綻ばせた。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  誕生日のデートって、どこに行ったらいいのでしょうか。  景虎にそう聞かれた国枝は、とても嫌そうな顔をした。前回、景虎の誕生日の時も庄助に、何をプレゼントしたらいいか聞かれた気がする。  勝手にしてくれよ。俺は二丁目のご意見番ママじゃないんだから。ほ~ら国枝さんがオススメしてくれたラブホテルだよ、やだカゲのエッチ……などと、こいつら二人のイチャイチャのダシにされるのは勘弁願いたかった。  そんなこと知るわけないでしょ、と答えようとしたが、景虎の眉間にありえないほどの皺が寄っていて、チベタンじゃないほうのマスティフのような表情をするものだから、犬好きな彼としては無碍にするのはちょっと心が痛んだ。  国枝は少し考えてふと、何かを思い出したように言った。 「ホテルのディナーなんてどう? 鉄板焼!」と。

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