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【番外編】スピカの後味③

 庄助が準備を終えてバスルームから出ると、部屋の電気は消えていた。  都会を一望できる大きな窓から、ライトアップしたスカイツリーの頭がはるか遠くに、いっそうはっきりと浮かび上がっていた。  壁際を頭側にして置かれた、部屋の主のようなキングサイズのベッド。その枕元のスタンドライトが、まるいオレンジ色の光をぼんやりと放っている。  先にシャワーを浴びた景虎はバスローブ姿のまま、カウチソファに身体を沈めてロックグラスを傾けていた。その出で立ちが映画のワンシーンを演じる俳優みたいで、庄助は自分も同じバスローブを引っ掛けながら笑ってしまった。 「お前それ似合いすぎやろ」 「そうか? ありがとう」  半分嫌味で言ったつもりだったが、景虎は普段から、自分の見た目を褒められたときに全く謙遜をしない。自分の姿形がありのまま美しいことを知っているからこそ、傲慢になりもせず否定もしない。庄助にとって、景虎のそういうところが好ましかった。  半乾きの髪のまま、隣に座る。真正面の広い窓から見下ろす夜の風景は、ずっと向こうの地平線まで嫌と言うほど都会だ。  大阪の、どちらかというとネオンの色や形で自己主張してガヤガヤしているビル群と違って、東京は夜景もずっと統率が取れている。 「何飲んでんの」 「ウイスキーを。国枝さんがよく飲んでるやつだ。これなら飲み慣れてるから」 「ちょっとちょーだい」  掴んだ景虎の手ごとグラスを傾けて、そのまま口をつけた。が、唇に琥珀色の液体が触れるなり、震え上がった。 「……ようこんな苦いの飲めるな」 「これはハチミツやオレンジピールがブレンドされているから、飲みやすいと聞いた」 「どこに何が混ざってんのか全然わからん」 「庄助も何か飲むか? お前の好きな甘い酒も、ビールもあったぞ」  と、グラスを持った手で部屋の隅に備え付けられた、セルフの小さなバーカウンターを指す。丸い氷がカランといい音を立てた。  紅茶や日本茶の他に、洋酒やワインなどを揃えてあるようだ。庄助は言われるままに立ち上がりそこを探って、いくつかボトルを手にとってみたが、外国語で書かれているものは読めなかった。  仕方なく冷蔵庫から日本の缶ビールを持ってきて再度、景虎の隣に腰を掛けた。 「乾杯するか?」 「おう。盛大に祝え、ミナミのタスマニアデビルの誕生日を」  ロックグラスとアルミの缶が柔らかくぶつかる。  テレビを消した部屋に、景虎の奏でる氷の音と、庄助のビールが缶の内部を打つ液体の音がひっそりと響く。  静かだ。自分たちは決してそうではないけれど、恋人たちが睦み合うには、いかにもな場所とシチュエーション。映画やドラマで見るような、ラグジュアリーなホテルの一室。  調度品も家電の類も、決して華美ではないが洗練されていて、何だか手触りからして普通のものと違う。  こんな場所に連れてきてもらって、そしていい雰囲気のまま景虎を受け入れてしまったら、いよいよ言い訳ができない気がする。今更、妙にドキドキしてきた。  庄助は、背中に汗をじっとりとかきながら、誤魔化すように言葉を紡いだ。 「あ、あのよ。カゲ、無理してへんか?」 「無理とは?」 「や、高かったかなって。俺らあんなボロアパート暮らしやのに、こんな贅沢……」  野暮だからあまり考えないようにしてきたが、景虎に申し訳ない気持ちがずっと引っかかっている。 「ん……金のことか? ふふ、気にするな。どうしてもと言うなら、庄助が営業で出世してお返ししてくれ」 「うぅ……国枝さんに営業の売り上げめっちゃピンハネされてんのに……」 「お前に渡したら全部使うから、貯金してくれてるらしいぞ」 「お年玉取り上げるオカンやんけ! そうやなくて……こういうとこってテレビで見たことくらいしかなかったけど、飯も美味いしおもろいな。ありがとう」

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