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第三幕 二、レンタル天使と愉快な仲間たち③

「すみません、もう準備ってできてます?」  メガネをかけた若い女が、戸口から顔を覗かせていた。ドアノブを押し開ける腕時計を巻いた左の手首に、水色のウサギの刺青がちらりと見える。 「あ、ヒカリちゃんおはよ」  黒い会社のロゴ入りTシャツに、ショートパンツから細い足をのぞかせて、ヒカリは部屋の中に入ってきた。  親しげに手を振る庄助の脇をすり抜けるように、素早くザイゼンのもとに歩み寄る。ヒッと息を呑んで口元を両手で覆うと、耳が痛くなるような黄色い声を出してみせた。 「え待ってザイゼンさん!? え、ありえんくない!? やだ、めちゃ爽やかなんだけど! え、かっこいい好き……ッ!」  ゆるくツイストした黒髪のおさげを揺らして、ヒカリは悶えた。彼女はほんの少し前、向田(むこうだ)というヤクザと共謀して、庄助を男の娘風俗に沈めようとしていた女だ。 「……廣瀬(ひろせ)さん、あんたはもうウチの会社の事務員なんやけ、ちゃんと挨拶はしてくれや。そんでよ、なんぼワシら男じゃいうても異性の控室に入るときは……」 「あ! はぁい……すみませんでした、ちゃんとノックしまぁす。国枝さん、ザイゼンさん、早坂さん。お疲れ様です」  廣瀬ヒカリは姿勢を正すと、今度こそ真剣に挨拶をした。ヒカリは現在、株式会社ユニバーサルインテリアの事務員という名の下働きをやっている。  あの騒動の後、ヒカリは向田とすっぱりと別れた。一時はあれだけ執着を見せていたにも関わらず「あたし歯抜けはちょっと」と、文字通りボロボロの向田に対して残酷に別れを告げたのだった。  その後行き場をなくしたヒカリは、都の最低賃金で雑務をやるという契約でユニバーサルインテリアに配属になった。  彼女はイケオジ好きをいかんなく発揮し、歯の抜けた向田から、事務所の経理をやっているザイゼンに実にあっさりと鞍替えをした。  庄助に早くも、紅一点の後輩ができたのだ。彼にとって喜ばしいことかなのかどうかは置いておいて。  柄の悪い男だらけの酒宴に、女の子を一人入れるのはかわいそうだと、国枝は昨日の歓迎会にはあえてヒカリを呼ばなかった。 「あと五分ほどで前のプログラム終わるんで……ちょっと時間は押してるんですけど、もういつでも出られるようにしといてください……ネっ」  金の華奢な腕時計に一瞬だけ目を遣ると、ヒカリはまたぞろザイゼンに熱い視線を送り始めた。 「はぁ……庄助、行こで。それ、頭にかぶって」  ザイゼンは素知らぬふりをして庄助の肩を台本で叩くと、軽く鏡で前髪を直した。  渋々といった表情で、庄助はワウちゃんの頭をすっぽりと被り立ち上がる。前に誰が使っていたのかはわからないが、剣道部の部室のような臭いがムワッと鼻にまとわりついた。 「ヒカリちゃんさ。リーフレット、開始と同時にもう配っちゃってくれる? 部数けっこうあるから」 「はぁい」  国枝とヒカリの声が、被り物越しにくぐもって聞こえる。はやく終わらせよう。終わらせて帰ろう。  しかし、尻や腰がまんべんなくズキズキと痛い。このあと着ぐるみでダンスして子供たちと記念撮影か何かをした後、また私服に着替えて電車に乗って帰るのだと考えると、果てしない絶望が庄助の肩に重くのしかかった。  こんなことをしないとシノギが得られないなんて、なんて世知辛い世の中だろうか。 「ザイゼンさん、俺……ヤクザがヤクザらしくいられるように世の中を変えたい……っ!」  庄助は着ぐるみの中で、ふるふると拳を震わせた。  中身が庄助だとわかっていても、無表情なワウちゃんが意思を持って動いているような素振りをするのはシュールだ。  隣を歩くザイゼンは、おもろ、と口の端で笑った。

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