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第三幕 二、レンタル天使と愉快な仲間たち④

「クッソボケ、ほんまに……ころす……」  便座に腰掛けながら、庄助はここにいない景虎に呪いの言葉を吐いた。  人間としての尊厳の破壊。  その一歩寸前で、庄助は無事ワウちゃんの皮の中から脱出した。  上京してからというもの、半グレに輪姦されそうになったり、風俗に沈められかけたり危険な目にはたくさん遭った。しかし、今回がその中でいちばんピンチだったかもしれない。  危なかった。今回ばかりはホンマに危なかった。  今日の現場は全て終了、お疲れさま、帰っていいよ。国枝からその言葉が出るなり、庄助はワウちゃんを勢いよく脱ぎ捨ててトイレに走った。控え室のすぐ近くの個室に空きがあったことは、不幸中の幸いだった。  汗を大量にかくと思ったので、冷たいスポーツドリンクをあらかじめたくさん飲んだのがいけなかったのかもしれない。  昨日あれだけ乱暴に抱かれ、尻の中に精液を注ぎ込まれては何度も掻き出され、もはや何も残っていないと思っていた。甘かった。  不規則な腹痛と尿意と、多量の発汗。みんなのレンタル天使、白カワウソのワウちゃんは、ステージの途中から色々と我慢しすぎて朦朧としていた。 「うぅ……もう人生終わるかと思った……」  九死に一生を得た安堵を噛み締めて、洗面台で手を洗う。足取りがふらつく。本当に一度、景虎のあの取り澄ました顔を殴ってやらないと気が済まない。  ふと鏡を見ると、ゲッソリとした自分の顔が目に入った。自慢の金髪は汗でぺしゃんこになってしまっているし、庄助はこの一時間程度ですっかりと、雨に濡れてしょぼくれた捨て犬みたいな見た目になってしまった。  顔を軽く水で洗う。水分を服の肩で拭うときに、左眉の上下を挟むように開いた銀色のピアスに目が留まった。  指で触れると、皮下に埋まった硬いシャフトを感じる。五年前、今日みたいな夏の暑い日に静流が開けてくれたピアス。  あの日、静流が東京に発つ前の日。  汗ばんだ静流の指や、タバコの匂いまで思い出せる。  それなのに、東京にきて怒涛の日々を忙しく送っているうち、すっかり約束のことを忘れてしまっていた。 「兄ちゃん……」  スマホを取り出す。静流は渋谷に自分のスタジオを持っていると言っていた。ここから歩いてもそう遠くないだろう。  景虎は今日、矢野の護衛で横浜に行くらしい。だったらこっちだって少しくらい遅くなってもいいだろう。  昨日の今日だし、施術中だったら大人しく帰ろう。友達と遊びに行くだけなのに、いちいち景虎に言い訳なんて用意しなくていい。やましいところなんか、ひとつもないのだから。  庄助は、少し緊張しながら静流にメッセージを送った。それは一分と経たずに、すぐに既読になった。  荷物を取りに控室に戻ると、ヒカリが一人でゴミを拾い集めて大きな袋に詰め込んでいるところだった。 「早坂さん。お疲れさまでした!」  彼女は手を止めて、キレイな三十度のお辞儀をした。決して礼儀正しい印象ではないのに、挨拶のときだけはなぜか真面目になるのが癖のようだった。 「あ、ゴミ捨て手伝うわ。ちょい待ってて」 「や、大丈夫です。もうこれで終わりなんで。それより……あの、今、一瞬だけ時間いいですか?」  いいけど、と庄助が言うが早いか、ヒカリは先ほどよりさらに深く頭を下げた。 「あの時はほんとうに、ごめんなさい。早坂さん、あたしと働くの嫌かもしれない。でも行くとこないんで、一緒に働かせてください」  華奢な肩をおさげが滑って、鎖骨のあたりで揺れた。何も気にしてないかといえば嘘になる。しかし、庄助はそれ以上に嬉しかった。 「ええよ、許す。もう謝らんでええて」  開け放ったロッカーのドアの陰に身を隠す。イソギンチャクに隠れるクマノミのように顔を半分だけ覗かせて、庄助はヒカリに向かって笑顔を見せた。

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