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第三幕 四、ミミックは真夏に生まれた③
「ちょっと一階の部屋覗いたけど、翔琉まだ寝てたわ。そのうち起きるやろ」
フレームとマットだけになったベッドに座って見上げた窓の外の空は、夏らしい長い日のもと青々として、うろこ雲がところどころをぽつぽつと覆っている。
「期末どやった?」
静流は新品のタバコの封を開け、一本取り出して口に咥えた。
「どうもこうもないて……」
「はは、そっか。ま、一本どうぞ」
静流は悪気なく笑いながら、浮かない顔をする庄助にタバコを一本よこした。立ち上がって窓際まで行くと、二人して並んでライターで火をつけた。
吸いなれない外国タバコの匂いを肺で味わって、危うく咳き込みそうになるのをこらえた。一瞬でニコチンが血液を巡って、頭がクラリとする。
換気のために窓を開けると、外のぬるく湿った空気が入り込んできて頬を撫でた。
静流の横顔をちらりと見た。耳の軟骨、トラガスの部分の黒いボディピアスが目を引く。ピアスと同じ色をした首の後ろのトライバルの刺青までを流し見てから、庄助は切り出した。
「兄ちゃんさ」
「んん?」
「また大阪に帰ってくる?」
少しの沈黙の間、階下のマリーゴールドの葉と花弁が、風でさわさわと優しい音を鳴らした。
オレンジ色の丸い花を、二人で見下ろす。萬城家の花壇は、昔から必ず毎シーズン何かが植わってある。それは変わらないのに、もうすぐ静流だけがここからいなくなってしまう。庄助はタバコに口をつけず、くゆる煙の先をじっと見た。
「遊びに来るよ」
静流は、部屋にたくさん積まれた引っ越しの段ボールにちらりと目を遣った。遊びに来るという言葉は、もう大阪に根を下ろす気はないということだとわかって、庄助は目に見えて悲しそうな顔をした。窓枠に載せた灰皿の端っこに、タバコの灰を落とす。
「そんな顔すんなよ。東京なんか近いし、庄助も学校卒業したら来いよ」
「せやけど……」
「やりたいことがあるねん」
真剣な声に顔を上げた。瞳に静かな決意の色を宿したまま、静流は寂しそうに笑って庄助の前髪に触れると、優しく掻き分けて額を撫でた。そうされると、まるで小さい頃に戻ったみたいな気持ちになる。
「うん……そっか。わかった、応援してる……」
「……泣くなよ~、ミナミのタスマニアデビル」
「泣いてないわっ」
真っ黒な髪と、眉尻の薄く短い眉毛に尖った犬歯。小柄で人懐っこく見えるのに怖いもの知らずな庄助を、いつしか誰かが茶化して“ミナミのタスマニアデビル”と呼ぶようになった。
学校の先生は言うに及ばず、例えそれが柄が悪くガタイのいい大人の男でも、目をつけられると面倒くさそうな警察官でも。間違っていると思ったら、庄助は誰彼かまわず反抗し、噛みついた。
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