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第三幕 六、猿山に風雲急④

「おはよう、庄助ちゃん」  談話室のウォーターサーバーの入れ替えをしていると、アリマと数名の老人たちがわいわいと連れ立ってやってきた。  アリマは美容院に行きたてなのか、いつも白髪交じりの髪は黒く艶々としている。みんな薄く化粧をしたりして、普段よりもお洒落をしているように見えた。 「庄助ちゃんなんか疲れてる? お仕事大変ねえ、クッキーあるわよ」 「ジュースいるでしょジュース」  元気のない返事をする庄助に、老女たちはいつものようにジュースを買ってやり、小袋のお菓子をたくさん手渡した。  外ではセミがけたたましく鳴いて、談話室のテレビのワイドショーの笑い声と合唱している。夏らしく目が眩むほどの陽光が、薄いミントグリーンのカーテンによって阻まれている。  あらかたの作業を終えた庄助は、ちょっと休憩と呟くと、椅子を引いて腰を下ろした。 「どしたん? 今日みんな可愛い服着てるやん……いつも可愛いけど!」  なけなしの元気を振り絞ってそう言うと、アリマはにこりと微笑んだ。 「うふふ、ありがと。お上手ねえ。別にどうってことはないけど、ちょっとね」  アリマがそう言ったとき、にわかに老女たちが色めき立ったのがわかった。彼女らは顔を見合わせ、庄助の肩越しに廊下をちいさく指さしては何事かを喜び合っている。  振り向いて廊下の向こうを見ると、角から一人の男性がこちらに歩いてきている。夏だというのにグレーのスーツを着込んだ、メガネをかけた背の高い老人だ。  歳の頃は矢野よりも少し上に見えるが、体型はがっしりしていて面立ちは濃く、例えるならば昭和の映画俳優のようだ。庄助は近づいてきた彼を見て思った。 「こっち来た! やだぁもう緊張で手ぇ震える」 「あんたのそれはパーキンソン病でしょ」 「カツシンみたいじゃない? 生まれ変わり?」  などと黄色い声で笑いさざめく様子は、まるで女子学生のようだ。男はこちらに気づくと会釈をした。 「こんにちは、みなさんお揃いで。僕はもう帰りますが」 「カサイさんもお茶しましょうよ~」 「ありがとう。来週はのんびりしてるので、その時にでも」  カサイと呼ばれた男は、蓄えた口ひげの下で柔らかく微笑んでみせた。座っている庄助にもニコニコと頭を下げた。紳士という感じがする。彼が動くと、背広から重ための香水と、それに混じった加齢の匂いが香った。

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