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第三幕 八、漢の決意はドレスで飾る④
◇ ◇ ◇
川沿いに建つ総合病院の五階に、矢野は入院している。パンデミックも非流行期にあり、現在は個室での直接面会が可能だった。
「入院って嫌いじゃねェんだよな。もともと儂ァ、のんびりすンのが好きだからよ」
デパ地下で買ってきた見舞いのフルーツゼリーの白桃味を口に含みながら、矢野はにっこりと笑った。入院着のままベッドに腰掛け、首には固定用の水色のシーネが巻かれているが、普段より血色がいい気がする。上げ膳据え膳で健康的な食事をしているからだろうか。
「あの、お怪我の具合は大丈夫ですか?」
景虎も国枝も用があるらしく、他の組員もついてきてくれなかったため、矢野への差し入れと見舞いは庄助一人の役目になった。
「あァ……この首のやつは着けてるだけさ。景虎から聞いてると思うが、誠凰会のボスが怪我しちまってよ。こっちも入院ってことにしてンのよ。ほら、織原 も怪我してんだよって言っとけば、あんまりギャーギャー言われなくて済むだろ」
ほくそ笑みながら組み替える矢野の入院着の間から脚が見える。その細い足首までびっしりと刺青が入っている。褪せてくすんだ墨色が、年季を感じさせた。
「そっち、座ンな。ゼリー食えよ。儂は、マンゴーっちゅーのの美味さがよくわからんから嫌いでよ。やるよ、仔猿ちゃん」
言われるまま庄助は来客用の椅子を引っ張ってきて、ベッドの隣に置いて座った。室内は涼しいが、まだ午前中の明るい外からはセミの鳴き声が遠くに聞こえる。
ぺりぺりとゼリーの蓋を開ける音が、静かな病室で妙に大きく聞こえた。
「誠凰会の人が亡くなってもーてるのにこんなこと言うたらあかんのでしょうけど……正直俺、親父さんが無事でよかったです……カゲも」
「怖くなったかい?」
プラスチックのスプーンが、マンゴーゼリーの濃厚な黄色を貫いてゆく沈黙。庄助にしては珍しく言葉少なだったが、ぽつりぽつりと話し出した。
「人が近くで死んだって聞いたらやっぱり……ちょっと」
景虎から例の会合の日の銃撃戦の話を聞いてからずっと、現実味がなかった。映画みたいでかっこええ! と喜ぶどころか、厭な汗が吹き出て吐き気すらした。一歩間違えたら誠凰会のボディガードではなく、景虎が死んでいたと思うと、庄助の身体は震えた。
「カゲはずっとそういう……いつ死ぬかわからん世界におったんやって、改めて思って」
いつも触れているあの、刺青の映える冷たい肌が破れ、見たことのない真っ赤な身体の中身が溢れてくるのを想像する。
言葉を話さなくなった美しい顔が、もう二度と庄助を見て微笑まなくなる世界線のことを、そしてその世界は思っていた以上にすぐそばにあることを考えて、恐ろしくなった。
「頭ではヤクザって職業のことわかってた……つもりになってたっていうか。自分が想像してたより、ずっと重くて、怖いんやなって。……すみません、親父さん入院してるのに、俺ばっかりペラペラと」
矢野は目を細めた。下を向いた庄助の、くちばしのような唇の先端に咥えられた透明なスプーンが、動きに合わせて上下している。履き古したスニーカーがリノリウムの白い床を踏んで、きゅうっと音を立てた。迷いと不安を隠さない素直な態度は、昔から景虎にはなかったものだと、矢野は小さな頃の息子を思った。
「怖いって素直に言えるのはいい事だァな。なあ、仔猿ちゃん。景虎がお前にこっちの世界に来て欲しくないって言ってる理由、もうわかンだろ?」
「はい……」
「あいつも怖いんだよ。初めて心を開いた人間がいなくなるのは。……だからよ」
「せやから、俺を正式に織原組に入れてください!」
「ええ~……?」
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