230 / 381
第三幕 十、ショコラ&ロゼスパークリング③
「やった……やったあ……!」
トラウマに打ち克って強そうなヤクザを眠らせた。一人でできた。ざまあみろ、俺だってやればできるんや。
庄助は小声でボーイを呼びつけると、事務所で待機している向田を呼んでもらった。向田はタニガワが寝ているのを確認すると、彼のスマホを指紋認証で解除してから、大柄の黒服二人に連れ出させた。
「ひでえ格好だなオイ」
パンストは言わずもがな、ぐしゃぐしゃのドレスにズレたウィッグ、しかもパンツまで盗られてノーパンだ。庄助はスカートの裾を引っ張りながら、嘲笑う向田に向かってこっそり舌を出した。
身体の大きな黒服たちがこれまた身体の大きなタニガワを、どこか別室に連れてゆくのを見送ると、さっき押収したばかりのスマホを弄る向田の背中に向かって声をかけた。
「タニガワを連れてってどうするんすか? 殺すんですか?」
「まさか。ちょっとスマホ見せてもらってから、普通にタクシーに乗せて帰ってもらうんだよ。お前のボスが人を消すコスト云々言ってただろが。それにタニガワが居なくなったら、ウチの店が真っ先に疑われるだろがバーカ。ちったぁ考えろよ、脳みそ入ってんのか?」
体を張った人間相手にこの言い草だ。やっぱこのオッサンとは根本的に合わん、嫌いや。
庄助は今度こそ胸に誓った。いつか向田の顔面を殴り、苦労して手術したインプラントの根っこごと歯をへし折ってやると。
ヒールの足がアルコールでふらつく。任務は遂行できたことだし、兎にも角にもユニバーサルインテリアに、景虎の待つ家に帰りたかった。
空気の淀んだ酒臭い室内にずっと居て、気分が良くなかった。着替えるより先に少し外の空気を吸おうと、庄助はボロボロの姿のままエレベーターで一階に下りた。
ビルの外は眠らぬ街の光が明るく、目にうるさい。
「うぅ……」
座って飲んでいたからか、立ち上がって歩き出すと酒がいっぺんに回る。黒や緑色にくらむ視界のまま、少し開けた細い車道沿いの道までよろよろと歩いた。
吐き気こそないが、いつも気にならないようなネオンの明かりや街の匂い、人の声が洪水のように脳みそに情報として入ってきて、圧倒される。
ガードレールに手をかけて耐えようとしたが、庄助はとうとう座り込んでしまった。
「あー、変な酔い方してる……」
客単価が高くて飲みやすいから頼んでおけと、普段飲まないスパークリングワインを向田に勧められて飲んでいた。甘くてジュースのようなロゼスパークリングは、炭酸の喉越しも相まって確かにゴクゴク飲めたが、それがいけなかったのかもしれない。
道端で膝をついていても特に誰も話しかけてこないのは、都会の長所であり短所だ。夏の夜の熱気で顔が火照るのに、頭の先と手足の末端が冷えてくる。目眩がひどかった。
「ねえ、お姉さん。大丈夫ですか?」
男の声がする。視界がガンガンと明滅して顔ははっきり見えないが、彼は隣にしゃがみ込むと身体を支えてくれた。
優しい人もいるものだ。庄助は絞り出すように答えた。
「ありがとうございます……いけます、大丈夫っす」
「え、あれ……?」
男は急に素っ頓狂な声を出した。庄助が声を発してそこで初めて男だと気づき、驚いたのかと思い申し訳ない気持ちになった。
なんとなく、一言謝ろうと顔を上げた。それと同時に、視界の明滅の“滅”の時間が急激にぐんと伸びてきて、庄助の身体の力ががくんと抜けた。
「わ……! おい嘘やん、やっぱり庄助……!?」
彼は庄助を支えると、じっと顔を覗き込んできた。黒く消えてゆく視界に、うっすらとプラチナブロンドが見えた気がした。
庄助の記憶はそこで途切れた。
ともだちにシェアしよう!

