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第三幕 十、ショコラ&ロゼスパークリング⑤

「そうなん? でもヒカリちゃんはそれ、すごい気に入ってるねんで。勇気をもらった、もう手首切らんようになったって」  息を呑む音。静流の薄い色をした瞳の中になぜか動揺の色が浮かんだ。 「住み慣れた大阪を出ていくくらい、兄ちゃんはゲイジュツやるのほんまに好きやったんやな。ちゃんと成功してるし、やっぱ才能ある人はちゃうな」  あまりに無邪気なその賛辞に、静流は押し黙った。  高級マンションの部屋は防音が行き届いているせいか、外の音がほぼ聞こえない。黙ると部屋の時計の音が大きく聞こえる。景虎と住んでいる壁の薄いアパートとは大違いだ。 「兄ちゃん?」  庄助は、沈黙し俯いた静流の細面の顔を覗き込んだ。長い髪のせいで、薄く笑う口元しか見えない。 「庄助も才能あるやん」 「ん、そう……? えへへ、まあ新入りやのに極秘任務を任されるくらいやし、出世はすぐ……」 「そんなに男に媚びる才能あるの、知らんかったわ」  静流は半分ほどかじったカスクートと水のボトルを、まるで飽きてしまったようにテーブルの上に置いた。  ソファにぐっと体重がかかって、静流の繊細で綺麗な顔が庄助の頬に近づく。静流の切れ長の目は庄助を捉えている。 「なあ。庄助って、あの遠藤って人の女なん?」 「お、んな……?」  意味が分からず固まったのも一瞬のことで、すぐに静流の言わんとすることがわかってしまい、庄助の背中に嫌な汗が吹き出した。 「あの人とセックスしてんの?」 「な、なんで? そんなわけないやん……」  静流の手のひらが、庄助の肩に乗せられた。まっすぐに見つめられて、目すら逸らせない。 「隠し事はナシや言うたやん。なあ、どうしたん庄助。脅されてんのか?」 「ちがう……」 「じゃあなんなん? もしかしてヤクザに飼われてクスリでも打たれてる? どうなん、正直に言えって」  強い力で肩を掴まれて揺さぶられ、庄助は慄いた。口が悪いのは知っていたが、そんなふうに自分を威圧してくる静流のことは初めて見た。  お前のすべてを暴いてやるとばかりに覗き込まれて、心臓が刃で刺されたかのようにキリキリと痛んで、指が震えた。 「……そんなんとちがう。言いたくない」  その拒絶はもはや、答えのようなものだった。泣くのを我慢しているのか、庄助の茶色い瞳にかぶさる涙の膜が、いまにも零れそうに膨れていた。 「庄助」 「何か俺が、兄ちゃんにいやなこと言うてもーたんやったら、ごめん。でも、言いたくない。なんでそんなこと聞くん」  いつも感情表現が豊かな庄助が、悔しかったり悲しかったりといった、涙が出そうな場面ほど感情を隠そうとするのを静流は知っていた。  男は泣くものじゃないという古い先入観か、動物が弱っていることを悟られないようにするような本能か、おそらくそのどちらもだろう。  静流は目を細め掴んでいた手を離すと、庄助の前髪と眉を撫でた。  その時庄助はやっと、眉上のピアスを昨日キャバクラの控室で外したままにしていたことに気づいた。 「ごめん」  俯く頬の丸みに向かって、静流は謝罪の言葉を吐いた。唇を一文字に引き絞って堪えている顔を見ると、子供の頃に大人に叱られた後の庄助を思い出した。 「……あの遠藤ってヤクザに無理矢理ヤられてるとかじゃないならええねん。この前、お前の首に見えてたから。あれ、キスマークやろ」  庄助の頬がどんどんと赤くなる。言わなくてもバレているなんて、しかも兄ちゃんに知られたなんて、死ぬほど恥ずかしい。  何も言えなくて口をつぐんでいると、静流は小さく息をついた。 「もうちょいしたら俺も出るし、送っていく」  貸した服はいつ返してくれてもいい。そう言うと、静流は昨日庄助が着ていた女物のワンピースやウィッグが入った紙袋を手渡した。  庄助は、俯いたままだった。

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