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第三幕 十一、ルックバック・ウィズ・ユー②

 ……兄ちゃん、心配してくれてた。あんま喋らんかったの、拗ねたみたいで感じ悪かったよな。後で謝ろう。  景虎の寝息を聞いていると、ささくれだった心が凪いでゆく。  確かに、静流の言う通り最初は無理矢理だった。自分よりずっと力の強い存在に、捻じ伏せられて開かれてゆく身体が痛くて恐ろしくて、ずっと泣いていた。  それを思えば、静流の心配は至極真っ当なものだ。  景虎のつけた、あんな噛み跡みたいな酷いキスマークを見てしまったら、誰だって驚く。虐待なんじゃないかと思うかもしれないし、庄助が嫌でないだけで景虎のそれは、実際に暴力であった。  東京に来てからというもの、まともな人間が周りにいなかったから、静流の心配が普通のことなのだと理解するのに時間がかかってしまった。  軽口を叩いたことで、先に気を悪くさせてしまったことを含め、ますます静流にしっかり謝らなくてはと、庄助は思いを新たにした。  景虎は瞼をたまにピクピクと震わせるものの、深く眠っているようだった。目を閉じていると、まつ毛の長さが際立つ。顔の造形が、本当にキレイだ。  ていうかこいつ、嫌になるほどスケベやけど、寝てると可愛いよな……。  獰猛な獣の無防備な寝顔に触れたくなってしまって、庄助はそっと髪を撫で頬を寄せた。 「あれ?」  いつもひんやりと冷たい景虎の薄い皮膚の下に、燃えるような熱がこもっている。驚いて身体を離すと、それに呼応するように景虎の瞼がうっすらと開いた。  声をかけようと口を開いた瞬間、庄助はソファベッドに引き倒され、喉元を締め上げられていた。 「……っ!」  驚いた顔をしたのは、景虎だった。微睡みから覚醒へ段階を踏まず叩き起こした視界に、黄色い頭が揺れるのが見えたからだ。 「き、ぅう……っ」  まだ完全に現実に戻ってきていない意識に、苦しげな庄助の声が入り込んできた。咄嗟のことだった。  寝ている頬に感じた熱と気配に、一度だけ嗅いだことのある甘い香りがした。 「庄助……!?」  相手の喉、気道を押さえて体重をかけた左腕の先、国枝に折られた小指の根元は、ドクドクと血の脈動が響くだけで激痛が走った。 「げほっ、いったぁ……なにすんねん!」 「すまん、強盗(タタキ)かと思った」  景虎は謝罪すると、力を少し緩めた。そしておもむろに庄助の頭に鼻先をくっつけ、ドスの効いた声を出した。 「おかえり、庄助……いつもと違う匂いがするな。あの刺青屋の匂いだ。何をしてきた?」  嗅覚が野生動物すぎる。見事に言い当てられてゾッとした。景虎の目の黒いうちは、浮気の一つも絶対にできない。する気は毛頭ないし、そもそも景虎とは付き合ってもいないが。と、誰も聞いていないのに、庄助は心の中で要らぬ前置きをした。 「な、なにもしてないからっ! 離せ、ちゃんと説明する! ……ていうか、カゲ」  庄助は緩んだ腕の隙間から、ケージから脱走するハムスターのようにもぞもぞと這い出した。改めてソファに座り直し、景虎の額に手を当てた。

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