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第三幕 十六、鍔際はそこに①

 中華は不吉だ。  いくら高級で美味くても、矢野に貫かれた手の甲の痛みを思い出してしまう。  松と不死鳥の透かし彫りのある豪奢な欄間、飾り円窓に赤い格子、白いテーブルクロスの縁には金糸で細かい刺繍がされてある。部屋の奥には誰かが揮毫(きごう)をふるったらしき、何と書いてあるかよくわからない四文字熟語が、漆黒の額に入れられ飾られている。  景虎には理解しがたい趣味だった。本格的な中華料理と、矢野と行く町中華の違いはあまりわからない。  円卓の上に横たわるフカヒレの煮込みは、間接照明の光を受けて、その身を新鮮な横隔膜のようにテラテラと光らせている。景虎はテーブルの下で、ふとした時にまだ鈍痛を生む左手の傷に触れた。 「なぁんだ、結局全部ゲロっちゃったの。しょうがないなあ庄助は」  国枝の細く長い指が、アヒルの皮と野菜の乗った薄餅(パオピン)をくるりとひと巻きする。皮にうっすらと甜麺醤(テンメンジャン)を塗りつけると口元へ運んだ。  ヤクザの食べる中華といえば北京ダックだと、庄助が強く希望したので個室のディナーコースを予約したが、どういう意味なのかは国枝や景虎にはわからないままだ。 「すんません国枝さん……せっかくカゲに内緒にしてくれとったのに」  北京ダックの下に敷いてあるピンクの揚げえびせんを手づかみで食べながら、しょんぼりと庄助は言った。 「ん? なんのことだかわかんない」  とぼける国枝を横目で見て、こういうところが憎みきれないのだと、嘆息した。平気で人の骨を折るくせに、景虎をクスリ関係の仕事から遠ざけるための手回しをしてみたり、部下である庄助の覚悟を尊重してみたり。  それが気まぐれであろうと計算ずくであろうと、国枝という人間を少なからずの者が慕うのも頷ける。基本的には嫌がらせばかりなのだが。 「ちゃんと向田さんから仕事っぷりは聞いてるよ。誰かさんと違ってお手柄だったね、庄助」  おしぼりで指を拭いながら、嘘くさい笑みを愛おしい庄助に向ける国枝に、景虎は思わずムッとして口を挟んだ。 「こうなってしまった以上、今後は俺にもちゃんと作戦の内容を伝えてください。庄助に白状させる手間が省けて助かりますので」 「お、お前なカゲ! 余計なこと言うな! 違うんです国枝さん、こいつがあんまりしつこいからっ……!」 「一応言っておくけど、車の修理代と、それからワウちゃんの着ぐるみのクリーニング代と修繕代は、庄助のお給料から天引きだからね」 「なんで俺なんですか!? おかしいやろ!」  いつものやりとりの中、国枝は涼しい顔で口を紹興酒で潤している。かねてよりの、慌ただしくも血生臭い事件はまだ終わっていないにも関わらず、三人の男の間には束の間の平和な時間が流れているように見えた。 「……ようやくこうして三人揃ったんだし、話をまとめようか。バタバタしてたもんね、最近」  クロスの敷かれたテーブルに肘をついて、国枝が二人を伺う。庄助も景虎も、静かに頷いた。 「まず庄助が連れて行かれた廃墟のラブホテルなんだけど、ほぼもぬけの殻だったよ。アジトとして誰かが使ってた痕跡はあるけど、手がかりになりそうなものはなかったね」 「で、でもラーメンマンが『商品取りにきた』って……」  あの時、意識は朦朧としていたが、辮髪の男は確かにそう言ったのを覚えていた。 「何かを察して、そのときに目ぼしいものは持ってっちゃったのかもね。ウチもそうだけど、ヤバいものはすぐに動かせるところにまとめてるもんだから」  そういうものかと、庄助は頷く。国枝の言うヤバいものが何なのか、皆目見当もつかないが。

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