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第三幕 十六、鍔際はそこに⑤

「え! 引っ越しってことですか!?」 「引っ越さなくても、あのアパートの大家はウチのOBだし、落ち着いてからまた帰れるようにしたげるよ。オートロックもないボロ家なんて、どうぞご自由に殺してくださいって言ってるようなもんじゃんね」  まるでごくありふれた事のように笑い飛ばす国枝を見ていると、彼らとは生きてきた世界が違うのをひしひしと感じる。 「庄助と二人で、新しい家に……?」 「家具つきオートロックつきのマンスリーで、安く紹介できるとこあるよ。そのへんは二人で相談しなよ。……ちょっとタバコ吸ってきます」  心なしか申し訳なさそうに告げると、国枝は個室を出ていった。話が一段落するまで喫煙を我慢していたのか、胸ポケットに手を突っ込みながら、いつにない早足で。落ち着いた大人の男を浮足立たせるニコチン依存とは、かくも恐ろしいものだ。  取り残された二人は、どちらからともなく顔を見合わせた。 「庄助は……どうしたい」  伏し目がちに、景虎が問うた。 「どうって……そら今の家に愛着あるけど。でも命には代えられんやろ。また戻ってきたらええやん、俺も引っ越し代とか家賃とか出すし」 「金の問題じゃない。庄助は、俺と一緒でいいのか?」  そこで庄助はやっと気づいた。景虎と手をつなぎっぱなしだったことに。無意識にずっとそうしていたから、国枝が手ずから北京ダックを食べさせてくれたのだ。  きっしょい、末期すぎる。つーか国枝さんもおもろがってんと言うてくれや、あのオッサンほんっま……。  庄助は気まずそうに汗ばんだ手を離すと、ズボンで手を拭いながら言った。 「別にええやろが。俺はカゲの“相棒”なんやぞ」 「……ふふ、そうか」  夜通しの相棒テストという名のセックスで何かが変わったわけではない、あんなものは変態プレイをしてみたい景虎の詭弁だからだ。庄助はそう思う。  けれど、ほんの少しだけ。  前よりは相棒として、受け入れてくれるようになったような気がする。だったら、その気持ちに応えられるようにしたい。景虎の安心できる場所でありたいと願う。それは、矢野にそうあってくれと頼まれたからではない、庄助自らの気持ちだった。 「せっかくやったら、思いっきり筋トレできる広い部屋がええな!」 「筋トレ? すぐ飽きるくせに……」 「そんなんわからんやろ。心機一転、この機会に習慣づけてムキムキになったんねん。あ、せや……この前捕まったときに、アリマのおばーちゃんにもろたラッコのキーホルダー、どっか行ってもーてんなァ。それもごめんなさいしに行かな」  景虎は何も言わず、しょんぼりと項垂れる庄助の黄色い頭を見つめた。ヤクザの台詞とは思えないなとからかおうとしたが、かわいそうなのでやめておいた。   「あ、あとさ……ここのピアス、なくしてもーたから。新しいの、買おかなって」  次は顔を上げて、照れくさそうに白い犬歯を見せると、庄助は何もない左の眉の上を撫でた。  別の人間に開けてもらったというほんの微かな小さな穴。ついこの間まで忌々しかったその傷に妬けはするものの、今では愛おしい庄助の一部だとも思えるようになった。  ピアスホールのある眉上にそっとキスをすると、庄助は小さな声で「こんなとこでアホか」と呟いた。その耳は赤く染まっていたが、口元は薄っすらと笑っている。  自ら進んで荷物を増やして身動きを取れなくして、本当に愚かだと、景虎は今の自分をそう評価する。  けれど何一つ、置いて行きたくないものばかりだ。だからこの道行きを、手に手を取って二人で進みたいのだ。なぜなら庄助は、景虎が疲れたときに荷物を一緒に持ってくれる人だから。  その日の帰り道、景虎は庄助に尋ねた。  新しいピアスを、プレゼントしてもいいかと。

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