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第四幕 一、グッドフェロー・グッドバイ③

 ソースと生地のついた唇を舐めていた庄助は、目を丸くさせた。景虎の口から“楽しい”なんて言葉が出るのは、かなりレアなことだ。 「祭りは小さな頃ぶりだ。親父や組の人間と来たり……母さんとも何度か来た。場所も夜店も違うのに、懐かしいと感じるものなんだな。不思議だ」  狛犬の石目に柔らかくぼける提灯の橙の灯りが、お面の下でまたたく景虎の瞼や頬に反射して、滑らかな肌を照らす。  なぜか切なくなって数秒、庄助の息が止まった。彼の過去の境遇を思うだとか、そんなことではなくただ単に。  暗い夜の熱の(もと)にある、確かな景虎の存在になぜか胸が痛くなる。うっかり目を離したら、祭りの喧騒に呑まれて消えてしまいそうだ。それが怖くて、庄助は言葉を継いだ。 「カゲのお母さんて、どんな人なん……?」  景虎の母は自殺した、だから組長である矢野耀司(やのようじ)に拾われた。それを話の流れで聞いたことはあっても、彼が母親の話を進んですることはなかった。  矢野から詳しい事情を聞いたとはいえ、庄助は本人の口からもっと知りたかった。景虎が、母親をどう思っていたかを。 「……優しかった。お菓子でもパンでも、俺が一度美味いと言えば、そればかり買ってくるような人だった」  そう言うと、景虎は庄助の食べた半分、蛸の入っていない方の生地を口に入れた。  優しかった、という答えが、庄助には嬉しかった。第三者が見てどうであれ、景虎の中の母親像が悪いものではないことに、少し安心した。 「ウチも一緒や。おやつの棚開けるたび、またおんなじお菓子や~って。もういらんって言うても、なんでか買ってくるねんなぁ」 「そうなのか? でも、今となっては気持ちがよく分かる。俺も庄助が喜ぶと思って、ついヨーグルトやアイスを買ってしまうからな」  平らげども平らげども、冷蔵庫の中にいつの間にか買い足されているそれらを思い出し、庄助は短い眉の根を寄せた。 「人をガキみたいによ……」  拗ねたような庄助の声を聞いて、景虎が笑った。  今日はよく笑う。こいつも祭りでテンション上がってんのやろか。  ヤクザをやっている怖くて強い景虎もかっこいいけれど、こんなふうに穏やかな姿を見るのも好きだった。  いつだったか生き方を選べないと口に出した彼の、本来のおっとりとした動物好きな性質や、それと相反する暴力的な衝動。どちらが本当の景虎なのか、そんなのは些末なことだと、庄助は思う。  でも、仮に。もしも今からでもヤクザ以外の生き方を選べるなら、景虎はどうするのだろう。その選んだ道の先に、自分の姿は在るのだろうか。  考えてもどうしようもない事が、よぎっては消えて、棘のように庄助の胸の内側にひっかかってゆく。

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