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第四幕 二、陽炎に消えたひと①
「カゲが出ていってもーたんです!」
「そりゃ俺が景虎に、一人で動く許可を出したからね」
「なんでなんでっ……! 俺も行きたいのに!」
このような不敬を働けば、もしかしたら指と言わず全身の骨を折られるかもしれない。けれど、黙ってはいられなかった。
朝一の事務所、上司である国枝聖 の机の前に立つ庄助の手のひらは、緊張と恐怖で滴るほどの汗をかいて、繁殖期のナメクジみたいになっていた。
デスクに置かれたノートPCに何かを打ち込み終えると、国枝は庄助と目を合わせて、鷹揚に微笑んだ。
「直談判してくる勇気は認めるし、気持ちだってわかるけど、でもダメだよ」
「でもっ……カゲひとりで……」
「景虎は普段はあんなだけど、腕っ節も確かだし仕事も正確だ。庄助もよく知ってるでしょ、あいつはベテランなの」
それはそうだ、と庄助は口ごもる。ペーペーの新人には返す言葉もない。
景虎は祭りの後、ふらりとどこかに行ってしまった。川濱組との抗争の一連で、やらなくてはならないことがあるらしい。何をするつもりなのか、詳しく聞いても答えず、「信じて待っていてくれ」の一点張りだった。
庄助は、力の限り駄々をこねて引き止めたがダメだった。景虎の意志は硬いようで、怒って泣いて暴れて疲れ果て、眠ってしまった庄助をベッドに押し込むと、夜中のうちに姿をくらました。
一人で目覚めた庄助は心ここにあらずで、ナカバヤシの運転する軽トラに荷物を載せ、家具つきマンスリーマンションである新居に引っ越した。庄助の魂の抜けっぷりに、ナカバヤシは終始驚きっぱなしだった。
荷解きなどやる気になるわけがなく、段ボールは開けもせず放置している。
怒りに任せて景虎に送ったメッセージは、既読になったものの連絡は返ってこない。
「あいつまだ、怪我も治ってへんのに……」
景虎の小指をへし折ったという、国枝の横顔をじっと睨む。
「なんか言った?」
「いえ……なんもないです……」
俺を信じて待っていろ。
景虎はそう言った。
もちろん、信じてやりたいという気持ちにはなる。しかし、何の説明もなしに納得できるわけないやろ、という自分が同時に存在する。
一緒にいて楽しいとか言うとったくせに、突然置いていくのが意味わからん。しかも祭り行って遊んでるときに言う? 普通。頭おかしいやろ、しばき回したろかな。
ていうか俺一人でおるの、余計に危なくないか? どないやねん、何を考えとんねやホンマ。
色々考えていると、感情がむちゃくちゃになってくる。惚れているのはあっちだというのに、どうしてこんなに勝手ばかりしてこちらの心をかき乱すのか。庄助は歯噛みした。
「なにも景虎だけにジギリさせようってんじゃない。俺もみんなも、組のためにそれぞれ動いてる。わかるよね?」
「……はい……」
国枝自身も、抗争の収束への働きかけに心を砕き、来週には退院するという矢野の、快気祝いの段取りまでつけている。
忙しく気を張る毎日の中で、新人の訴えに傾聴の姿勢を示す。黙って言うことを聞け、とヤクザ組織らしく押さえつけて終わらないのが、庄助が国枝に懐いている所以だ。
しかしそれでも、庄助は悔しかった。自分だって狙われたのだから当事者のはずなのに、なにもさせてもらえない。これでは今までと何も変わらない。
前回は国枝に花を持たせてもらったとはいえ、潜入捜査をしたり、危険な目に遭いつつも敵を捕らえたりもした。この件に関しては、庄助なりに多少は組に貢献しているつもりだ。
だから尚更悔しい。
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