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第四幕 二、陽炎に消えたひと③
《近場から近場に引っ越すて、なんでやの? あんたんとこの会社、何インテリアいうた? ブラック企業ちゃうやろな!? 調べるわ!》
耳に当てたスマホのスピーカーから、関西弁の女性の強い語気が、庄助の鼓膜にキンキンと響く。庄助も負けじと、通話口に向けて声を張り上げた。
「そんなんちゃうて! オカンは心配しすぎやねん、大丈夫や! ウチは超絶……超絶ホワイトや!」
ホワイトどころか、株式会社ユニバーサルインテリアは、ブラック企業も裸足で逃げ出す、ヤクザのフロント企業だ。
たとえ会社名で検索したとしても、真っ当なホームページしか出てこないから大丈夫だとは思うが、SNSやネット掲示板を当たられると、変な噂の一つや二つや三つは出てくるかもしれない。
通話の相手である、母親の早坂愛子 には、あくまでレンタルの会社に就職したと伝えている。あまり調べてほしくないのだ。
庄助は今、そのフロント企業のいわゆる表の仕事、レンタル業の業務で取引先を訪問中だ。
デイサービスを兼ねる特別養護老人ホーム『がるがんちゅあ』。
勝手知ったる得意先の人気のない階段の、一階と二階をつなぐ踊り場で、庄助は口うるさい母親と久々に喋っている。うっかり通話に出てしまったのが運の尽きだった。
《せや。シズくんにもミカン送りたいから住所教えて》
「いらんて! 兄ちゃんは売れっ子やし、うちのミカンなんか食わんやろ」
庄助が実家に居た頃から、愛子はたまにミカン農園を営む、和歌山県の実家を手伝いに行っている。その関係で、庄助のもとにしょっちゅうミカンを送ってくるのだ。
《シズくんが『みかんハウスはやさか』のミカン美味しいです~ってインスタにあげてくれたら、注文殺到するのに……》
女手一つで庄助を育て上げただけあり、愛子はなかなかに商魂たくましい。
「つーかもう仕事戻るからよ……またラインで住所送るわ」
《あんたそんなん言うていつも送ってけえへんやないの! 昔っからそうや、授業参観のプリントは前日にならな出さんし、通知表は捨ててくるし、いつも肝心なことはな~んも言わん。顔だけやなく、性格まであの人にそっくりになってきて、ママ悲しい!》
何を言うとんねん、いつの話をしとんねん、何がママやねん。あの人というのは別れた夫、すなわち庄助の父親のことだろう。
何かのトリガーを引いてしまったのか、愛子の積年の恨みが噴出したようだ。壊れた機関銃のように止まらない母親を、どうにかこうにか宥めすかして、庄助は通話を終えた。
スマホを耳から離してため息を一つ。未だ耳奥の、蝸牛管に居座っているような黄色い声の残響に眉をしかめた。
親と話すのは変に疲れる。お世辞にも優等生だとは言えなかった自分を、ここまで育ててくれた母親のことは好きだ。しかし、一人息子を心配するあまりに、時にひどく神経質になる母のことが疎ましくもあった。
「……あーあ。先に仕事終わらせるか~」
景虎がいなくなって落ち込んだ気持ちのまま、背伸びを一つする。庄助は項垂れながら、階下に下り廊下に出た。画面を服で軽く拭いたスマホを、尻のポケットに入れた時、
「庄助ちゃあん、いたいた」
向こうの廊下の角から顔を出して、にこやかに手を振る品の良さげな老女の姿が見えた。
「あっ! アリマのおばあちゃん、久しぶりや~」
顔を上げて手を振り返すと、アリマ老人のもとに小走りで駆け寄った。ここしばらくバタバタしていて彼女と会う機会に恵まれなかったが、綺麗に化粧をしてパーマをあてて、近くで見ると随分若々しくなったようだ。
「お祭り、遊びに来たん? 元気そうでよかった」
「庄助ちゃんのおかげで、大盛況だわよ。あら? なんか今日元気ない?」
アリマにはすぐに気づかれてしまった。女性というのは幾つになっても、他人のことをよく見ているものだ。庄助は、そんなことないよ、と首を横に振った。
本日、がるがんちゅあ一階のレクリエーションホールでは、小さな縁日のような催しが行われている。近くの児童養護施設との合同イベントとして企画されたらしく、子供の賑やかな笑い声や足音が、館内の遠くから反響して聞こえている。
「早坂さん、こんにちわ」
アリマの後ろから、背広姿の男がのっそりと顔を出した。老年の、しかし体格が良く背筋の伸びたその男に、庄助は見覚えがあった。
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