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第四幕 二、陽炎に消えたひと④

「えと……サカイさん?」 「惜しい! 僕はカサイです」  名前を間違えられても一つもムッとする様子なく顔を綻ばせるカサイに、庄助は一瞬で『ええ人そう』だというイメージを持った。  少し前にここを訪れた時、アリマをはじめとした老女たちを色めき立たせていた、児童養護施設を運営しているというイケオジイだ。  鷲鼻が特徴的な濃い顔は、いぶし銀でハンサムだ。背も庄助より少し高いくらいで、幾つだか知らないが老人にしては高身長の部類だろう。 「レンタル用品だけでなく、がるがんちゅあの職員さんと一緒に、催しのアイデアを考えてくださったと聞きました。ありがとう、子供たちも喜んでいます」  当初、職員が考えた企画は、紙風船バレーやフリーマーケットなど、どれも無難なものばかりだった。老人にとっては新鮮かもしれないが、子供たちが喜ばないのではないかと、庄助が幾つか進言したのだった。  子供寄りの意見である庄助のアイデアは思ったより受け、そのせいで集める物が増えて、仕事が立て込んでしまっていた。  ここのところ色々あって、かなりいっぱいいっぱいになっていたが、言葉一つで人間は報われてしまうものだ。 「いやそんな……えへへ」  突然降って湧いた“褒め”に照れて、庄助は身をくねくねさせた。 「とくに、老人と子供の各チームに分かれて、型抜きや椅子取りゲームをデスマッチ形式にするアイデアは素晴らしいですね。ルールもわかりやすいし、何よりスリリングだ」  実は庄助は海外ドラマで見たネタをパクっただけなのだが、しかし楽しんで企画し、用意したものを皆に楽しんでもらえたなら御の字だ。  カサイはたくわえた豊かな口ひげに触れながら、庄助の顔をじっと見つめた。 「やはり若い人は、僕みたいな年寄りと脳の作りが違うな。ねえ、シノさん」  そうアリマに遣るカサイの目線の、妙な気安さに、庄助は少し驚く。  どういう仲? と、アリマと目を合わせると、彼女は恥じらう乙女のようにはにかんで見せた。 「ふふ、ねえ庄助ちゃん。あのね……わたしたち、結婚するの」 「へ~そうなん? おめ……結婚!?」  聞くところによると、アリマとカサイの出会いは、去年の十二月頃。  カサイの運営する児童養護施設『とりのいえ』と、がるがんちゅあとの合同クリスマスの企画が持ち上がった時だったらしい。  下見や打ち合わせのために、がるがんちゅあをよく訪れていたカサイと、人懐っこいアリマが親しくなるのに、そう時間はかからなかった。  老いらくの恋の炎は今日(こんにち)まで静かに燃え上がり、二人は今月中には一緒に住むという。ただ、カサイは来年度から社会福祉法人の理事長に着任することが決まっているらしく、入籍や周りへの報告はそれ以降を予定しているそうだ。  ……と、具体的なことを言われても、話があまり頭に入ってこない。恋とか結婚というものは、もっと若い男女がするものだと思っていたからだ。  大人でも、大人を通り越して老人になっても、人は人に恋をするものなんだなと、庄助は新鮮に驚いていた。 「庄助ちゃんだけには言っておきたくて。あなたはあたしの恩人だから。でも、他の人にはまだ内緒にしておいてね? カサイさんはモテモテだから、ヤキモチ妬かれちゃう」  肝斑の浮き出たアリマの頬が、幸せそうに緩んでいる。子を持たず夫を早く亡くしたという彼女が、どういう気持ちで人生を送ってきたのか庄助は知らない。けれどこうして、愛する人ができて想いが通じたなら、それはすごく良いことだと思った。末永くずっと続いてほしいとも。 「めっちゃおめでとう、おばーちゃんもカサイさんも、幸せになってな」  庄助の言葉に、老いた男女は顔を見合わせて笑い合う。お似合いだ、羨ましいくらいに。  コの字型の廊下の奥、レクリエーションホールから子供たちの合唱が聞こえてくる。昭和の大物女性歌手が亡くなる前に歌った、世代の違う庄助でも知っている有名な歌謡曲だ。 「庄助ちゃんにもいい人ができたら、お祝いさせてね」 「え、俺!? いやあ……ケッコンなんか、俺にできるかな……」  いい人と言われて、ポンとあの男の顔が浮かぶのをどうにかしたい。これではまるで、あいつのことが好きみたいじゃないか。  あんな勝手なクソ野郎、俺が女やったとしてもお断りや。つーか、なんで俺が女っていう前提やねん。逆にあいつが女になれば……やめよう、想像したら恐ろしい。  庄助は、頭の中に浮かんできたマッチョな女の像を吹き飛ばすように、後ろ頭をバリバリと掻いた。 「大事なのは愛する人と一緒に居ることです。けどまあ、結婚は制度ですから……人生に活用できるならやって損はないでしょう」  カサイがそう言うと、アリマは笑いながら、彼の大柄な肩を平手で優しく打った。 「やだ、打算的ねえカサイさん」 「バレました? 打算だらけの人生です、ふふ……」  ご老人たちとはいえ、眼の前でイチャつかれるのは精神的にクる。そんな庄助の気持ちを知ってか知らずか、カサイはこの後レクリエーションの成功を祝して食事でもどうかと誘ってきた。  今日は用があるからと、二人に別れの挨拶をした庄助に、アリマは思い出したように何かを手渡してきた。 「そうだ庄助ちゃん。遠藤さんにもこれ渡してくれる? 前に約束してたの」  前に庄助が使っていたものと良く似た姿形だが、ちりめんの柄の違うそれは、アリマ手作りのラッコのキーホルダーだった。  庄助は、うっと息を詰まらせた。自分のキーホルダーが、無残な形で家にが送られてきたことを思い出してしまったからだ。  アリマに貰ったキーホルダーを壊してしまったことを伝えられないまま、庄助は小規模な縁日で賑わう老人ホームを後にした。  念の為キーホルダーの綿の詰まった部分を握って探ってみたが、どこにも機械端末らしき硬さは感じられない。いたって普通のキーホルダーだった。  ほんまにあいつはクソッタレや。GPS仕込んだろか。  庄助は、ここにいない景虎のことを思った。

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