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第四幕 三、毒を喰らわば②

「……あいつは関係ない。組のためだ」 「そう? 忘れてるかもしらんけど、矢野さんの頼みで庄助を織原に……ひいてはあなたに紹介したのはボクやで。せやからよう聞いて知ってますよ、あなたがどういう人なんか。組のために能動的に動くような人か、そうでないか」  見透かしているぞとばかりに、静流は笑う。  まばたきのたび、量が多くて茶色っぽい睫毛が揺れた。優しげで女性的で、しかし長い首や腕から続く手は、細いのに男らしく筋ばっている。こうしてじっくり見ると、なるほど、芸能人でも通じるような華のある顔だ。  しかし人相というのだろうか。表面的には肌も髪もケアされて美しいのに、目の光だとか表情の筋肉だとか、そういったものが伴っていないように思える。整っているが、奇妙な顔貌だった。 「遠藤さん。ボクはね、織原の人間としてのあなたと話すんやなくて、人間としてのあなたと話がしたいんよ」 「いちいち気持ちの悪い奴だな……いいか、質問しているのは俺だということを忘れるな。天才アーティスト様に手荒なことはしたくない」 「……そやね。今やヤクザは警察の裁量一つで、なんぼでもしょっ引けますから……それこそ末端から組長までね。下手打たんほうがお互いのためでしょ」 「そうだな。逮捕よりも、俺がここであんたをひねり殺すほうがずっと早い。命は一つしかないんだ、お互いのためになることを話そう」  二人は笑い合った。  ピザパーティーの日の邂逅よりもずっと激しく、静かな火花が散る。まさに一触即発の様相だが、二人を止める存在はここにはない。 「……さっさと質問に答えろ。あんたは織原組(ウチ)の敵なのか?」 「変なこと言いますやんか。ヤクザこそ健全な人間社会の敵でしょうに」  ふいっと横を向いて受け流した静流のうなじに、景虎は黒いサソリの刺青を見つけた。濃淡をつけずに黒一色で彫られたトライバルデザインは、施術後何年経っているのか知らないが褪せておらず、凛とした漆黒を肌に縁取っている。 「ボク、遠藤さんが何をそんなに焦ってるんか、ちゃんとわかってますよ」  静流はからかうように笑った。景虎が何も言わなかったので、そのまま言葉を続ける。 「ボクがもし、織原組に本格的に疑われ出したら、きっとボクが連れてきた庄助も疑われる。矛先があの子に向く。だから危険も顧みず、一人でここに来たんと違います?」  小さく息を呑む音が、静流に届いてしまった。ますます目を細め、ついに静流はキレイに繕っていた顔を、くしゃりと破顔させた。 「遠藤さん、ボクと協力しません?」 「協力だと? 誰に向かって言ってるんだ」 「あはっ。いや、ボクは別にどっちでもええんですよ。あなたにここで殺されたとしても、だれも悲しまん。ただ、庄助はほんまに何も知らんのです」  ほんの一息優しげな声音とともに、静流は吐き出した。声と裏腹に、吊り上がった唇は裂けて、その隙間からザクロの実のような毒々しい赤が覗いている。 「庄助がヤクザに詰められるのは、忍びないでしょ? 何も知らんのに血ィ吐くまで痛めつけられて……それとも遠藤さんは、そういう姿がそそるんかな?」 「交渉は決裂だ、死ね」  景虎は立ち上がった。テーブル越しに差し向かっていた静流の胸ぐらを掴み上げる。  引っ張られて立ち上がった静流の膝がテーブルに当たり、手つかずのペットボトルが倒れ、床に重い音を立てて転がった。水滴がテーブルの下まで尾を引く。 「ふは、冗談ですやん」 「……………」  苛烈な夏の日差しが、窓をカーテンごと焼き尽くしている。アロマディフューザーの吹き上げる、柔らかな水蒸気の音だけが響く。まるで昔母親と住んでいたあの、雨の音がよく聞こえるボロ家みたいだ。反吐が出る。  少し沈黙のあと、静流は口を開いた。 「信じるかわからんけど、あんたらが拷問した男のお仲間。辮髪のあの兄さんは、ウチのスタジオの常連さんなんですよ」 「なんだと……」  まだ力は緩めない。手触りのいい開襟シャツの生地が、ギリギリと悲鳴をあげる。 「ボクはある目的のために“彼ら”のことを探ってる。そのために、ウーヤさんと懇意になって色々やっとったんです……優先的に予約入れたり、プライベートで一緒にご飯食べに行ったり……」  苦しいのか、静流の柳眉が時折顰められる。景虎は力を緩めない。  静流は観念したように、ぽつぽつと話し出した。その日は、夜遅くまでこのスタジオで、ウーヤとかいう男の施術をやっていたらしい。  突然、ウーヤのスマホに電話がかかってきた。施術の途中であったにも関わらず、彼は面倒くさそうに出て行ったという。  時間も時間であったし、もうビル内の他の店はとうに閉まっていて、都会といえど外の声がよく聞こえていた。争うような音と声が、店の片付けをする静流の耳に届いたという。  そこまで聞くと、景虎はようやく手を離した。大げさに咳き込むと、静流は捩れて皺がよったシャツの前を整えた。 「信頼はできない。だが、あんたの持ってる情報は欲しい。ある程度の利害が一致するなら、協力する」 「は……それはどうも、おおきにありがとうございます」 「ただし」 「なんやろか」 「二度とくだらん冗談を言うな」  景虎の目に宿るのは、純粋な殺意だった。

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