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第四幕 五、きみとわたしの虎尾春氷①
メルセデスのSクラスの後部座席から、爽やかなレモンイエローのパンプスが顔をのぞかせる。
履きなれないヒールが、アスファルトの凸凹に引っかかってよろめきそうになるのを、庄助は踏ん張って耐えた。一歩踏み出すと、ムダ毛の処理をされたふくらはぎの筋が、グッと力強く浮き上がる。健康的な、紛れもない男の脚だ。
誰もいない夜の路地裏とはいえ、都会は明るい。こんなありえない格好をして外をうろついていることが、自分でも信じられなかった。
「しょこらちゃん、お手をどうぞ」
先に車を降りた大柄な男が、じわりと汗ばんだ、俵型ハンバーグみたいな手のひらを差し伸べる。庄助は心底嫌そうな愛想笑いを浮かべ、そこに指先をちょんと乗せた。
その名前で呼ぶな、と言いたかったが、本名は絶対に教えたくなかった。
このタニガワという五十男 のヤクザとは、向田の経営する店の男の娘キャストとして出会った。
初回で、しょこらちゃんこと庄助の勧めた酒(の中に混ぜた睡眠薬)で潰されてしまうという醜態を見せたが、懲りずに週末の店外デートに誘ってきた。
よほど庄助を気に入ったのか、或いは罠か。今の段階ではわからなかった。
しかし、罠だから何だというのだ。こちらもクレイジーになって少しでも成果をあげなくては、一生景虎や国枝には認めてもらえない。
そう思った庄助は奮起して、しょこらちゃんとして、タニガワのラインに返信し、誘いに乗ったのだ。
自分でも正常な判断だとは思わない。男の娘……というジャンルではあるが、言ってみれば単なる女装である。
女装で単身、敵陣へ乗り込む。そんな無謀をやって成功するのは、英雄ヤマトタケルくらいのものだ。
カチに攫われて、死を願うほどの拷問を受けたあの日から、なぜか庄助は気持ちがフワフワしている。タガが外れた生存本能と脳内麻薬が、恐怖や羞恥心を麻痺させているのかもしれなかった。
『ヤクザものは、バカで成れず、利口で成れず、中途半端でなお成れず』
これは庄助が好きな任侠映画の名台詞だが、庄助は一刻も早く、バカだとか利口だとか、そんなものにカテゴライズしきれない、景虎や国枝のような存在になりたかった。
その気持ちが、彼を狂気の沙汰へと駆り立てていた。
川濱組のシマである新宿の隅に建つ、『ゾンビーズ・ハイウェイ』は、ダンスや音楽を愛する者が集まる、ライブハウスを兼ねたナイトクラブだ。
ビル丸ごと一棟がクラブハウスになっており、地下一階から地上三階まで、バーやダンスフロアやステージ、VIP用の席や個室などが各階層に分かれている。
今夜ここで、川濱組と薬の業者の取引がある……というのが、向田の情報だ。
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