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第四幕 五、きみとわたしの虎尾春氷③

 色とりどりの光が、吹き抜けのホールの天井や床を、撫で回すように乱舞している。  鼓膜どころか、身体全体を震わせるような重低音のせいで、隣にいても顔を近づけないと相手の声が聞こえない。極めて不愉快だ。景虎はスマホを睨みつけながら、むっすりと石のように押し黙っていた。 「あ、この曲知ってます? ボクらが生まれる前の曲やけど、最近バズって……」  くだらないことで話しかけるなと言いたかったが、それを伝えるためには静流の耳に唇を寄せなくてはならず、景虎は返事の代わりにもう一度、手元のスマホに目を落とした。  二人は『ゾンビーズ・ハイウェイ』のバーカウンターに立ち、酒を飲んでいた。音の振動がたびたび伝わってきて、ひっきりなしに地震が起きているかのようだ。  化野の情報によると、今日ここで川濱組の扱う薬物の売買が行なわれるらしい。一般客もたくさん来てはいるが、一部のディープなジャンキーの間では、川濱の仕入れ時期は定例会とまで呼ばれているそうだ。 「お兄さんたち、よかったら一杯だけおごらせてもらえません?」  二人組の女性が近寄ってきて、静流と景虎に話しかける。同い年くらいの、大人っぽく背の高い美女たちだ。自分に自信があるであろうことが、立ち居振る舞いから見て取れる。 「わあ、ありがとうございます。でもボクたち、今日は二人で来てるから……ごめんなさい」  静流が笑いながら、景虎の肩に腕を乗せた。気安く、親しげに耳元で「合わせて」と、囁く。景虎は致し方なく、静流の細腰に手を回した。女性たちは丸くした目を見合わせると、会釈して去っていった。 「……あんたが隣にいると目立つ、せめて向こうに行ってくれ」  二人組が見えなくなり、景虎が寄せていた身体を離すと、静流は軽薄に笑った。 「冗談きついわ、男前さん」  景虎は暗闇に溶けるような黒いスーツを着て髪をオールバックにし、肌の色と近いファンデーションテープで左頬の刀疵を、クラブのような暗い場所では分からない程度にきれいに隠している。  静流は反対に、華やかな色合いのボタニカル柄のテーラードジャケットと白いハーフパンツに、夏らしいパナマハットに眼鏡を身に着けている。  こうして並んでみると、彼らは全く違うタイプの美形同士だ。並んでいるだけで嫌でも衆目を集める。 「まさか川濱組も、織原の虎が堂々と自分のシマに入り込んで遊んでるなんて思わんでしょ」 「だとしても、目立つ必要はない」 「裏口は厳重やし、普通に客として入るのが一番やったんですて。ミッション・インポッシブルやないんやから」  サイケデリックな緑と黄色のコカボムを一気に飲み干す。もう一杯、とバーテンに話しかける静流の口元から見える白い歯は、嘘のように美しく揃っている。 「最近の探偵は拉致までやるんだな、ヤクザの出る幕がない」 「人聞きが悪い。ちょっと来てもらって話を聞かせてもらうだけですよ。それに化野さんはコンサル業」 「余計に胡散臭い。というか、酔うなよ。化野にもし何かあったら、帰りの運転手は俺かあんたなんだ」 「へいへい。これでも緊張してんですよ。……ボクはカタギなんでね」  自虐的に笑って、二杯目のコカボムに口をつけた。  こんな時に飲酒だなんて、潰れたら殺してやる。景虎は静流にペースを合わせてテキーラのショットをあおったが、元々酒に強い体質なもので、一瞬はらわたが熱く灼けるだけでちっとも酔わない。不味い液体を口に入れるだけ損だと、いつもそう思う。  景虎はダンスホールの方に目を遣る。踊る人々の汗と香水の匂い、強い照明の光に透けるタバコの煙と塵、地面を蠢く沢山の脚。しばらく見ていても、何が楽しいのか全く解らなかった。

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