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第四幕 六、ショコラ&エル・ディアブロ①
夜の蝶はヒラヒラと逃げる。捕まえようとする男どもの、無骨な手をすり抜けて。
ネオンに薄い羽を透けさせて、淋しい男たちの鼻先に鱗粉をつけてゆく。
恋は戦い、惚れたら負けよ。呑ましゃんせ、サア酔わしゃんせ。
「はあはあっ……パー、俺の勝ち! しょこらちゃん、さあっ! ほら脱いで!」
ブリーフにネクタイとグラサン、片方の靴下だけを身に着けた中年男は目を血走らせ、可憐な薄羽に今にも掴みかからんと興奮している。彼の背中に鎮座する、龍の刺青も泣いていることだろう。
夜の蝶しょこらちゃんこと庄助は、距離をとってVIPルームの壁へ後ずさる。部屋を広く見せるためなのか、四方の壁のうち三面は鏡張りだ。
防音対策が行き届いているのか、階下のダンスホールの騒音は、ドアを開けたときにわずかに漏れ聞こえてくるのみだ。入って正面の壁にはプロジェクタースクリーンが吊るされている。映画を観ることもでき、フリードリンクの冷蔵庫もあり、至れり尽くせりのまさに特等席だ。
テーブルの天板の下につけられたブラックライトが、青々とタニガワの下顎を照らしている。モンスターのように歯を青白く光らせて、庄助が裸になるのを今か今かと待っている。
とうにパンティ(といってもボクサーパンツだが)は奪われてしまって、タニガワのスーツの胸ポケットに収納されたまま、部屋の奥のハンガーラックに吊るされている。庄助の身体は今や、天女の衣のように薄いドレス一枚に守られているのみだ。
「ま、待って……! タニガワさん、冷静に考えて! これ脱いだら普通に男の身体が出てくるだけなんでっ! 着てるほうがいいっ、かわいいとっ、思います!」
もはや自分でも何を言ってるかわからなかった。ドレスのシルエットを曲線的に、女らしく見せるために着けていたブラジャーは、パットごと剥ぎ取られ、今やタニガワの頭の上でピンクの猫耳と化している。
「脱ぐものがないなら、しょこらちゃんもテキーラ一気飲みかぁ、それがイヤならキスしよう……? ふへっ、ふふふへっ……!」
「アホかっ……じゃなくて、チューは好きな人としかしないって決めてるから、無理っ!」
時間稼ぎも限界かもしれない。庄助はまるで、家に連れてきたばかりの猫のように、部屋の隅っこで毛を逆立てて唸った。
ウチ、闇の世界を見てみた~い! 麻薬取引とか危険な仕事してるアブナイ男性に憧れちゃ~う!
そんなような事をダメ元で言ったのに、タニガワは二つ返事でオーケーした。案外バカなのかもしれないなと、庄助は間抜けな格好のタニガワを見て思う。向田の情報通り、本日この『ゾンビーズ・ハイウェイ』でクスリの取り引きがあるのは間違いなかった。
ここのVIPルームで先方と待ち合わせだから、相手が来るまで二人でゆっくりお酒を飲んでいようね。タニガワは紳士的にそう言った。
なのに、こうして個室で話しているうちにムラムラしてきたのか、すっごい触ってくる。胸も尻も太ももも、ギュウギュウと手形がつくくらい揉みしだいてくる。
触られるのが嫌すぎた庄助は、時間稼ぎとしてゲームを提案した。手ぶらでできる大人の遊び、それは野球拳だ。しりとりは却下されてしまった。負けたら脱衣もしくはテキーラ一気、タニガワのみジョッキで。
潰してやろうと無茶苦茶な条件を提示したが、彼は意外とノリよく遊びに興じ始めた。
「キスがダメなら、しょこらちゃんのスカートの中見たいよぉ~! 一生のお願いだよぉ~」
タニガワは強かった。正確に言うと、ジャンケンは弱いが、酒にはめっぽう強かった。テキーラをジョッキで何杯飲ませてもグロッキーにならずに、気分よく酔ってはこのように男泣きや土下座を繰り返している。
取引相手のクソッタレ、はよ来いよ。約束の時間に遅れそうなら一報入れるのが社会人としてのマナーやろがい。
足首に絡みつくタニガワを足蹴にして剥がしながら、庄助は苛ついていた。
もう少し引き伸ばしたいが、脱ぐものももうないし、テキーラはこれ以上飲んだら死ぬ。もともと酒は弱いのに、もうすでにショットで二杯飲まされていて、血中にアルコールが濃く回ってるのが自分でも分かっていた。
「あっじゃあコレ……コレで一枚脱いだ! はいっタニガワさんにあげる!」
庄助は苦肉の策でドレスの胸元に手を突っ込むと、小さく薄いテープのようなものを取り出した。太ももに顔を擦りつけてくるタニガワの鼻にそれをくっつけると、ソファの方へ足早に逃げた。
「これは……っ!」
それは絆創膏だった。ブラジャーで擦れて辛いので、庄助が乳首に貼り付けていたものだ。
庄助は恥ずかしがるふりをしながら、ソファに掛けて脱げたパンプスを履き直した。タニガワはたいそう喜んでありがたがり、真ん中の綿のパッドの部分の匂いを嗅いだり、全体を酢昆布のように噛んで啜ったりした。
あまりのキモさに庄助が絶望していると、部屋のドアがノックされた。嵌め込んだ長方形のすりガラスの部分に、誰かの大きな影が映る。
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