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第四幕 六、ショコラ&エル・ディアブロ②

「おう、入れ」  タニガワは突然威厳のある声を出し、ドアの方へ向き直った。 「お……? なんや、お楽しみでしたか?」  ドアから姿を現したのは、レスラーのような大きな身体に、角刈りの頭をした男だった。 「あいつ……!?」  庄助の喉の奥で声が出た。知っている顔だ、忘れもしない。組に入りたての頃、庄助を庇った景虎を思い切り腹パンしたあの、ブタゴリラ。違うな、鮭わかめ、豚トロステーキ……? 「イクラ……なんだお前、何しに来た」  そう、イクラだ。若頭補佐の次期候補だというイクラは、庄助とタニガワを交互に見て、これ見よがしにニヤついてみせた。  庄助は咄嗟に顔を逸らしていた。まさかあの時のチンピラがこんなところで女装してるとは思わないだろうが、顔を覚えられている可能性はゼロではない。 「何しにて……んなもん銭金(ぜにかね)のハナシ以外あらしまへんやろ。タニガワさんこそ、おもろい格好してからに」 「よく俺の前に顔を出せたな、度胸だけは褒めてやるよ。昔ながらのシャブや大麻の捌き方を、何も知らない若造のお前に教えてやった恩を忘れるどころか、仇で返しやがって」  頭にブラジャーを乗せて絆創膏をしゃぶる、パンイチのおじさんから発せられる台詞だとは思えない。  しかしこの二人、同じ川濱組だというのにも関わらず、険悪な雰囲気だ。 「何の話をしとるのんか、さっぱりわかりませんわ」 「ツグミの話だよ……お前がやったんだろ」  タニガワは、サングラスの奥から怒りに燃える目でイクラを睨んでいる。 「あ……!」  漏れ出た声ごと口を押さえる。イクラの前腕には、見覚えのある鯉の刺青が彫ってあった。  前回、タニガワを酔い潰して撮影した、彼の私用のスマホのデータには、ハメ撮り画像が大量に入っていた。  あの幾つかの卑猥な画像の中に、刺青の腕が女の胸を掴んだものが映っていたのを、庄助はしっかりと覚えている。庄助ともあろう男が、おっぱいにまつわるエトセトラを忘れるはずがない。  ちょうど今そこにいるイクラのものと同じ、白い身体に赤の模様と黒のブチのある、高級そうな錦鯉だった。  そしてその写真に写っている女の子は、山で遺体となって見つかった『セトツグミ』だという話だったはずだ。 「ツグミて、タニガワさんが飼っとったスベタでしょ? ほんま俺知りませんて、勘弁してくださいよ。殺してもーたとして、山に捨てんと金積んで佐和(さわ)に処理頼みますわ」 「……お前がどういうつもりか知らんが、こっちには証拠もあンだよ」  もしかしてこいつら、死んだセトツグミさんの話してる……?  庄助はバッグの方をちらりと見た。鞄の底に隠しているボイスレコーダーの存在は、こいつらに悟られてはいけないものだ。これは必ず、国枝に持ち帰らなくてはならない。恥ずかしい野球拳のくだりをカットして編集してからだが。 「なにをそんないきり立って……あ~、タニガワさん、酔っぱらってんや?」  テキーラの残ったボトルを見て、イクラは合点がいったというふうにケラケラと笑った。そしてそのままタニガワの前に立つと、ためらう様子もなく頭突きを食らわせた。「……!?」  一瞬何が起こったかわからず、庄助は固まった。ごりっと、何かが砕ける音がした。タニガワは突然のことに、呆気なく尻餅をついてしまった。頭に着けていたブラジャーと、サングラスが吹き飛ぶ。鮮血が鼻腔から噴出して床を汚した。 「大事な取り引きの前に、女と酒飲んで酔っぱらうとかありえんて。なあ、そう思うやろ姉さん?」  起き上がろうとするタニガワの裸の肩を、イクラは体重をかけて踏み抜く。タニガワは呻いた。  またおかしな音がしたが、脱臼したのか骨折したのかはわからない。顔を真っ赤にして、イクラの大木のような足をどかそうともがいている。  イクラは、テーブルに置きっぱなしのテキーラの瓶を手に取ると、タニガワの顔面にぶっかけた。 「ぐがっ……ごおっ!」  初撃で鼻が潰れてしまい、口呼吸しかできないタニガワは、酒の滝に成すすべもなく溺れてゆく。息を継ごうと呼吸すれば、高い度数のアルコールを飲み込んでしまう。 「タニガワさんはここで急性アルコール中毒で死ぬことにしましょや。怪我は……う~んそうやな、足を滑らせたってことで。ああ、それと」  吐き出そうとする口を、イクラは手のひらで押さえつけた。太い指の隙間から、血の混じったアルコールの泡がぶくぶくと吹き出る。 「売人は来えへんで。もうとうに俺が買収したから、あんたは用無しや。シャブやら大麻やら、金も手間も施設も必要なクスリは、もう古いねん……これからは『タイガー・リリー』の時代や」  その名前を聞いて、庄助は我に返った。突然の暴力に驚き動けなかった身体が、考えるより先にイクラに体当たりをした。

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