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第四幕 七、無常の野に徒花の咲く①
車の揺れが心地よくて、いつの間にか寝てしまっていた。ドライバーは運転が上手いのか、ブレーキの踏み方がとても滑らかだった。
余りにも疲れた身体は、毛足の粗いラゲッジマットの上ですっかり脱力し、意識を手放していた。幼い頃の夢を見ていた気がする。
庄助がふたたび目を覚ましてみると、まだそこは車の荷室だった。
停車した車内はがらんとしていて、同じく拘束されて連れてこられたはずのタニガワたちの姿はなかった。室内灯とエアコンがついてあるのが救いだ。
座るために身体を躙ると、タイトスカートが捲れ上がった。裸の尻がボソボソのマットに触れて不快だ。
クソ。なんで俺までくくられてんねん……。
先ほどイクラを捕らえるどさくさに紛れて、しま次郎こと景虎に、ついでのように拘束されてしまった。ここのところ何かと縛られてばっかりで嫌になる。いい加減に縄抜けの術でも会得できそうだ。
庄助は、眉間にシワを寄せながら、血の巡りの悪くなった手のひらを背後で閉じたり開いたりした。
身体を起こして視線を巡らせる。ハイエースのバックウィンドウには真っ黒なリヤカーテンが目隠しをしていて、サイドにも透過率の低いスモークが貼られている。典型的な、悪いことをするためのクルマという感じだ。
庄助の持ってきた女物のバッグが、後部座席のシート下に挟まっている。一度中身を全部出して、レコーダーの状態を確認したかったが、この手ではそうもいかない。
前方の窓から見える外には、暗い夜空と、墨を落としたような海が広がっている。歯抜けのようにぽつぽつと立つエリア照明が、買い手がつかなくて朽ちかけたコンビナート群を、煌々と照らしている。
ここはどうやら、織原組が“有事”の際に使っている工業団地の一角のようだ。土地の所有者に少なくない金を渡して、私有地であるその場所を使用させてもらっているという。
中に立ち入ったことはないが、車でここに来たことは何度かあるし、国枝が重そうなズタ袋と一緒に入っていくのを見たこともある。おそらく、一緒に乗ってきたイクラとタニガワを監禁しに来たのであろう。
恐ろしい。しかしそれよりも、一刻も早く解放されたかった。忌々しい結束バンドを断ち切ってウィッグを外したいし、何よりこのふざけた服をさっさと着替えたい。
このまま誰も来なかったらどうしよう、若干トイレも行きたいのに。という気持ちがこみ上げ、身震いをした。
クラブ、ゾンビーズハイウェイでの騒ぎの際に、突如として現れた三人のアニマルヒーロー達。
彼らは瞬く間に場を制圧した。
作業着を着た、屈強なオウム男のチョークスリーパーによって沈んだイクラの手足を、妙にオシャレな服のウサギ男が結束バンドで速やかに拘束し目と口に布テープを貼り付ける。仕上げにスーツの景虎が、大型機材用の段ボールに詰め台車に載せた。
出で立ちがてんでバラバラな彼らの息は、なぜか見事に合っていて、ベテランの引っ越し業者のようにも見えた。
カゲと、あのウサギのお面は静流兄ちゃんやったな。あと一人は誰か分からんけど。
景虎と静流が一緒に居る意味は分からなかったが、カタギを危険なことに巻き込んでいることに腹が立った。
いつも庄助に、危険なことをせずに表の仕事だけやっていろとばかり言うくせに。この数日どこに行ったのかと思ったら、庄助の身内である静流をヤクザの抗争に一枚噛ませていたなんて、信じられない。理由を聞かないと納得できない。納得した上で一発殴りたい。
そわそわとしはじめた庄助の背後から気配がした。
ピピッという電子音の後、脇のスライドドアが開いて、ぬうと大きな影が庄助に被さった。薄い外の明かりと潮の香りが、車内に忍び込んでくる。
「やあ、レディ。鮮やかなジャイアントキリングだったね」
庄助は、彼の体躯を上から下まで見上げた。作業着がはち切れそうな太い腿や毛のみっしり生えた前腕は、いかにも男性ホルモン過多といった具合だ。
景虎の被っていた虎と同じアニメに出てくる、オウムのキャラクターの面。彼はまだそれを着けていた。顔を見られては困るのだろうか?
「ん……っ?」
誰や、と開きかけた口を、粘着力の強い布テープで塞がれていることを思い出した。
庄助ははじめ、彼を織原組のまだ見たことのない誰かかと思ったが、なんとなく物腰がヤクザのそれではないような気がした。
庄助が居るのはハイエースの、しかもロングタイプだ。ラゲッジスペースは決して狭くない。にもかかわらず、オウム男が身体を捩じ込むと、途端に窮屈に感じる。
彼は庄助の隣に身を寄せると、持っていたタオルケットを、庄助の膝の上にばさりとかけた。思いのほかひやりとした布地の感触に、ビクッと身を竦めた庄助を見て、オウム男は面の向こうで苦笑した。
「すまない、怖がらせるつもりはないんだ。……とはいえ、若いお嬢さんには恐ろしいよね。密室でこんな大きな男と二人になるなんていうのは、きっと僕なんかには想像できない緊張感なのだろうと思う。……でも、安心しておくれよ、僕はそういうつもりで来たんじゃない。そんな短いスカートだと心許ないだろう。これを使ってくれ。……ああ、ちゃんと新品だから安心して」
肺活量があるのか、男は長セリフを一息に喋った。
「ご同行願ったあのタニガワとかいう男性は、キミの恋人かな?」
とんでもない、と庄助は首を横に振る。
景虎たちがイクラを段ボールに押し込んでいる時に、意識を取り戻したタニガワは存外大人しかった。フロアの上の銃の痕跡や落ちた薬莢を見て、何かを察したようでもあった。
暴力によりズタボロになった身体を意にも介さず、「自分で歩くから連れて行ってくれや」と言い立ち上がった彼は、半裸にネクタイという愉快な格好であるにも関わらず、確かな舎弟頭の風格を感じさせた。
後ろ手に縛られながらも、物怖じせず後部座席に乗り込んでゆくタニガワを見て、庄助は彼を少し見直したのだった。
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