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第四幕 八、はらわたと境界線⑧*

「素質あるな、もうイったのか」  景虎は、庄助のこめかみに口づける。流れて目に入りそうな汗を舐め取って、愛おしげに。 「ちがう、いやや……これもう無理むっ……」  しゃくりあげるように懇願するのを、構わず突き込んだ。ぱくぱくと口を開閉させて、庄助は耐えている。   『庄助がヤクザに詰められるのは、忍びないでしょ? 何も知らんのに血ィ吐くまで痛めつけられて……それとも遠藤さんには、そういう姿がそそるんかな?』  静流の言葉が蘇る。あの時腹が立ったのは、図星だったからだ。庄助が痛みと快感に耐えている姿が、景虎は大好きだ。人間として生きてきて、知覚してはいけない感情を刺激される。  ろくに話したこともないはずだった静流が、それに気づいていることも業腹だ。自分はそんなにわかりやすい人間だっただろうか。  静流に会ってから、強く思うようになった。過去が無理なら、せめて庄助のこれからだけでも、すべて自分だけのものにしたいと。  いつだか、ナカバヤシが猫を去勢するときに言っていた「自由を奪う代わりに、家の中で死ぬまでの責任を負う」という言葉。それが景虎の愛し方に一番近い気がしていた。自由をなくして塞ぎ込む庄助すら、きっとずっと愛せる。  それでも。  庄助の好奇心旺盛で自由な心が愛おしくて、それを尊重したくもなる。相反する独占欲と愛情に引き裂かれた結果が、毎回これだ。いつまでもいい塩梅が分からない。  大人は、自他の境界線を上手く引いて、他人を尊重して生きるのが普通なのです。それができない人はおかしいので、しかるべき場所に相談をしましょう。  本当にそうだろうか。  いつの間にかテレビもネットも、なんだか今はみんなそんな調子だ。誰にも教えられていないことを、“普通”である人間は、さも共通認識で全員ができているかのように言う。  多数の、自分が普通側でないと気がすまない人々にそう思わせるための詭弁じゃないのかと、普通でない側の景虎は思う。  人が人を求める気持ちはこんなに激しいのに。いきなり荒波の中に放り出されて、皆が皆うまく舵を取れるのだろうか?  それでも、景虎なりにはやっているつもりだ。こうやって距離を取って、庄助の優しさに甘えすぎないように、必死に。  普通にもマトモにも興味がないけれど、自分なりに、庄助を傷つけないように先回りして、静流から引き離して。それなのに庄助はいつだって、自分勝手な理由で事態を引っ掻き回すのだ。腹が立って仕方ない。   「なあっ、死ぬって! やめろって!」  景虎の豊満な僧帽筋を、バシバシとタップする手がある。離してもらえないので、今度はグーで背中、腎臓の辺りを拳骨で強めに殴ってくる。が、痛くなかった。庄助をいじめることで、アドレナリンが出ていた。  散々暴れて力んで息が上がっている庄助の、汗の匂い。燃える唇と耳。甲高い泣き声。どれだけ抱いてもずっと興奮して止まらない。   「庄助が好きだ」  歪んでいるかもしれないけど、求めている。こんなに強い気持ちを、誰が間違っていると断罪できるというのだろう。  両手首を掴んで下に引っ張り、もうこれ以上はないというくらいに深く挿入すると、先ほどよりもずっと奥で、水に溺れる呼吸のようなごぽりという音が鳴った。 「はがぁ……っ、こんな゙っ……こんなん、いやや、あっ、あああ……っ! ほんまに、ごわ゙れるっ!」  壊れてしまえば。一人で歩けなくなって、生活の全てに介助が必要になってしまえば。そうすれば庄助は、自分だけを見てくれるだろうか?  それは最後の手段であり、恐るべきことにやろうと思えばいつでもできることだった。景虎は、切なくなる。自分の壊れた倫理と、庄助の非力さが。  同時に愛おしくなる。健気に機能する庄助の情緒やはらわたが。全てが。

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